写真家はどのようにして文学を作ってきたのか? よく見りゃ篠山紀信の話

日本の文学史は写真家たちが作った?!
作品は知らなくても、顔と名前は知っている。
それは日本の国語教育、暗記教育の問題だけではなかった?!
写真も文学も気になる人に贈る新たな文芸史。

 

 

<第1章 写真館・新聞社から離れて>
 取り上げた写真家……名取洋之助木村伊兵衛土門拳
 取り上げた文芸家……横光利一佐藤春夫林芙美子

<第2章 出版社と結びつく写真家>
 取り上げた写真家……林忠彦、田村茂、桑原甲子雄
 取り上げた文芸家……織田作之助太宰治坂口安吾

<第3章 広告か? 芸術か?>
 取り上げた写真家……矢頭保、細江英公高梨豊
 取り上げた文芸家……松本清張三島由紀夫

<第4章 メディア化する写真家>
 取り上げた写真家……篠山紀信立木義浩荒木経惟加納典明寺山修司安部公房
 取り上げた文芸家……三島由紀夫安岡章太郎寺山修司加納典明安部公房

<第5章 文学の後景化 芸術の後景化>
 取り上げた写真家……篠山紀信荒木経惟赤瀬川原平
 取り上げた文芸家……井上靖柳美里田辺聖子ビートたけし村松友視赤瀬川原平

<第6章 そして作家だらけに>
 取り上げた写真家……篠山紀信中上健次、横山正美、森村泰昌松蔭浩之
 取り上げた文芸家……斎藤由貴、原由子、大槻ケンジ、銀色夏生椎名桜子


『文芸メディア発展史~文芸家/写真家/編集者の追いかけっこ~』(2016年9月発行)~
~『小説家/写真家になりたい人へ』(2017年8~12月アップロード)を加筆・改題・REMIX。
文芸賞/写真賞年表付き。

編集者スーパースター列伝<文学編> 後発は先発をどう乗り越えようとしたのか?

売れる本を生み出すには、スーパースターの著者に依頼するしかないのか?
あるいは、スーパースターの著者を育てるしかないのか?
いやいや、そもそもそのスーパースターの著者は誰が生み育てているのか?
それは、スーパースター編集者によって売れていたのでは?
では、そのスーパースター編集者はどのように生まれたのか?
日本の文学史を、スーパースター編集者の闘技場としてとらえ直す、編集者たちの架空のバトル集。
作者―活字―印刷―出版―流通―読者という“本”の枠組みが壊れて久しいこそ、
閉じられた本=場を離れ、他律=多律的世界へ。

 

 

<目次>
第1試合 佐藤辰男メディアワークス)VS太田克史講談社
      ~匿名性を巡って:ゲーム×漫画×文学~

第2試合 角川春樹角川書店)VS見城徹角川書店
      ~有名性を巡って:映画×音楽×文学~

第3試合 三島由紀夫(新潮社系)VS寺山修司芳賀書店系)
      ~露出を巡って:演劇×写真×文学~

第4試合 神吉晴夫(光文社)VS村松友視中央公論社
      ~文壇圏外を巡って:ミステリー×エッセー×文学~

第5試合 山本実彦(改造社)VS菊池寛文藝春秋社)
      ~芥川龍之介を巡って:全集×賞×文学~


『文芸メディア発展史~文芸家/写真家/編集者の追いかけっこ~』(2016年9月発行)~
~『小説家/写真家になりたい人へ』(2017年8~12月アップロード)を加筆・改題・REMIX。
出版社/文芸賞年表付き。

コラボか? 吸収合併か?

<第5章 そして作家が消えた>

---2 出版社も消えた―――ネット場を巡って

④―――集英社講談社の交差(クロスオーバー)

 

キャッチコピー「小説+漫画=未体験快感」で先行した集英社の『ジャンプノベル』。

キャッチコピー「闘うイラストーリー・ノベルスマガジン」で後発となった講談社の『ファウスト』。

両者は、講談社の『コミックファウスト』創刊の年、交差していく。

 

太田克史は、『コミックファウスト』(2006)で、当時、小学館集英社プロダクションによる「VIZ Media」で日本の漫画を世界へ売り込む成田兵衛(北米版『SHONEN JUMP』初代編集長)のインタビューと、当時の『週刊少年ジャンプ』の編集長・茨木政彦へのインタビューを掲載する。

その後は、講談社BOXレーベルスタート時、「大河ノベル」と題し、12ヶ月毎月1冊を出すプロジェクトをスタート。

清涼院流水西尾維新(ともに2007)・島田荘司(2008-)と続いて、第1回ジャンプ小説・ノンフィクション大賞受賞者の定金伸治を起用する(2009-)。

定金は、『パンドラ』の編集長を務めた北田ゆう子の呼びかけに応えた。

 

また、西尾は、『週刊少年ジャンプ』連載漫画『DEATH NOTE』が終了した年、スピンオフ小説『DEATHE NOTE アナザーノート ロサンゼルスBB連続殺人事件』(集英社)を発表(2006)。

CLAMPの漫画『×××HOLiC』のオリジナルノベライズ『×××HOLiC アナザーホリック ランドルト環エアロゾル』(講談社)と同時発売というものだった。

その後も西尾は、『週刊少年ジャンプ』で『めだかボックス』(作画・暁月あきら)の漫画原作を担当し(2009-13)、小説化も行った(ジャンプ ジェイブックス)。

さらに、『大斬 オオギリ』と題した取り組みを行う。

ジャンプ編集部からのお題を元に、西尾が原作を書き、主に集英社を拠点とする漫画家たちが読み切り漫画化。

『週刊少年ジャンプ』『ジャンプSQ』『週刊ヤングジャンプ』『別冊マーガレット』集英社漫画誌4冊で試みられた(2014-15)。

『ジャンプSQ』では、『めだかボックス』に続いて、『症年症女』(作画・暁月あきら)の原作も手がけた(2015―17)。

 

2011年、集英社は、荒木飛呂彦30周年と『ジョジョの奇妙な冒険』の20周年を記念して、『週刊少年ジャンプ』の人気連載漫画『ジョジョの奇妙な冒険』に基づいた小説化を行う。

すでにジョジョのシリーズ3部を関島眞頼と山口宏が(1993)、5部を宮昌太朗大塚ギチが(2001)、4部を乙一が(2007)順に小説化を行なっていたが、このとき、上遠野浩平西尾維新舞城王太郎の3名が執筆。

それぞれ、『恥知らずのパープルヘイズ』『JOJO'S BIZARRE ADVENTURE OVER HEAVEN』『JORGE JOESTAR』として、ジャンプ ジェイブックスから発売された。

舞城王太郎は、講談社ノベルス電撃文庫KADOKAWA アスキー・メディアワークス)・メディアワークス文庫KADOKAWA アスキー・メディアワークス)をまたにかける覆面作家で、乙一ら複数の作家による“越前魔太郎”の活動に続いた(2010)

 

このブロックの最後に、以下も記しておきたい。

中央公論社は、経営危機から読売新聞社の全額出資を受けて中央公論新社となったのち(1999)、読売新聞グループ本社の100%子会社となった(2002)。

角川書店は、現在、カドカワとなった(2015)。

KADOKAWAグループとして、角川書店ライトノベルを扱う富士見書房コンピューターゲームトレーディングカードも扱うメディアファクトリー、テレビゲームやゲーム雑誌も扱うアスキー・メディアワークスらの出版事業。

そして、映像を中心としたIT事業のドワンゴを傘下としている。

 

 

*原典:

私家版『文芸メディア発展史~文芸家/写真家/編集者の追いかけっこ~』(2016年9月発行)

*主な参考資料:

「編集部に質問状:「四方世界の王」 オリエント覇者は? 12カ月連続刊行ファンタジー“大河ノベル”」(2009/ http://mainichi.jp

 

f:id:miyakeakito2012:20170805221533j:plain

筆者執筆参加。文芸家26名のポートレイトを収めた写真冊子『著者近影』(松蔭浩之撮影・デザイン/男木島図書館2016年4月発行)は、MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店(渋谷)、タコシェ(中野)、NADiff a/p/a/r/t(恵比寿)の店頭などにて、現在手にとって頂けます。

収録文芸家:
青山七恵/池井戸潤/池澤夏樹/冲方丁/大野更紗/金原ひとみ/京極夏彦/窪美澄/沢木耕太郎/篠田節子/高橋源一郎/滝口悠生/谷川俊太郎/俵万智/辻村深月/堂場瞬一/早見和真/平野啓一郎/穂村弘/三浦しをん/道尾秀介/本谷有希子/森村誠一/山田詠美/吉田修一/吉本ばなな

電子掲示板→小説

<第5章 そして作家が消えた>

---2 出版社も消えた―――ネット場を巡って

③―――電子掲示板の書き込みを小説化  新潮社のベストセラー小説家・中野独人

 

舞城王太郎三島由紀夫賞を受賞した翌年、1冊の匿名の小説が発売される。

 

電子掲示板・2ちゃんねる(1999年開設)の書き込みを元に書籍化した『電車男』になる(2004/新潮社)。

翌年ベストセラーの7位(出版指標年報)に。東宝配給で映画化もされた(監督は共同テレビジョン村上正典)。

 

中野独人の著者名は、掲示板に書き込んだ多数の人物の総称になる。

出版時は2ちゃんねるの開設者の西村博之・“まとめサイト”の作成者・主人公と思われる人物が関わった。

 

担当編集者・郡司裕子は、書籍のパブリシティのため、自身がメディアに登場。

“美人編集者”の見出しもつけられる。

出版にあたって郡司は、“アスキーアート”と呼ばれる文字や記号をもちいた絵文字の再現の苦労を語った。

 

「半角文字などは印刷の世界では本来存在しないものということになっているらしいんですよ(引用者中略)おかげで印刷所の人にはずいぶん、面倒をおかけしてしまいました」

 

*原典:

私家版『文芸メディア発展史~文芸家/写真家/編集者の追いかけっこ~』(2016年9月発行)

*主な参考資料:

 「電車男を現実社会に引き入れた美人編集者」(『FLASH』2004年12月28日号)

 

f:id:miyakeakito2012:20170805221533j:plain

筆者執筆参加。文芸家26名のポートレイトを収めた写真冊子『著者近影』(松蔭浩之撮影・デザイン/男木島図書館2016年4月発行)は、MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店(渋谷)、タコシェ(中野)、NADiff a/p/a/r/t(恵比寿)の店頭などにて、現在手にとって頂けます。

収録文芸家:
青山七恵/池井戸潤/池澤夏樹/冲方丁/大野更紗/金原ひとみ/京極夏彦/窪美澄/沢木耕太郎/篠田節子/高橋源一郎/滝口悠生/谷川俊太郎/俵万智/辻村深月/堂場瞬一/早見和真/平野啓一郎/穂村弘/三浦しをん/道尾秀介/本谷有希子/森村誠一/山田詠美/吉田修一/吉本ばなな

アップロード場へ

<第5章 そして作家が消えた>

---2 出版社も消えた―――ネット場を巡って

②―『ファウスト』その後  アニメ監督・舞城王太郎  WEB編集長・清涼院流水

 

2009年、西尾維新の著作は、「西尾維新アニメプロジェクト」と題され、アニプレックス講談社・シャフトなどの製作でアニメ化が始まる。

メフィスト』掲載分や講談社BOXからの書き下ろしなど、『化物語』『刀語』『傷物語』『偽物語』が、3年にわたって放送された。

 

舞城王太郎の作品は、『ファウスト』誕生直前から、旧来の文壇の壇上にあがっている。

『群像』(講談社)『新潮』(新潮社)の文芸雑誌に掲載され、芥川龍之介賞には4度候補となり、『阿修羅ガール』(新潮社)で新潮社主催の三島由紀夫賞を受賞した(2003)。

筒井康隆の圧倒的な支持を受け、「ときおり大きな字体のページがあらわれる。(引用者中略)面白くもなんともないただのこけおどしだ」などと宮本輝の大反対のなかの受賞だった。

けれども、ポートレイトや経歴を明かしていない舞城王太郎は、授賞式に登壇することはなかった。

 

舞城は、その後、編集者的な動きをみせていく。 

これまで、“イラストーリー”を実践してきた舞城は、講談社BOXが創刊された年には、90年代に登場したニューメディアとなるWEBと、講談社青年漫画雑誌『モーニング』との連動で、“REAL MORNING COFFEE”を展開。

映像企画をアップし、制作会社を募った(2006)。

 

この試みは、やがて形になり始める。

WEB配信アニメーションシリーズ『日本アニメ(ーター)見本市』が開催される。

「日本のアニメの未来のために」と庵野秀明(代表作『エヴァンゲリオン』監督)が企画し、ドワンゴ(現・カドカワ傘下)の川上量生がエグゼプティブ・プロデューサーを務めた。

ここで、舞城は、アニメ『龍の歯医者』で監督・原案・脚本を手がけた(2014)。

 

その翌年、舞城は、安達寛高乙一の本名)・桜井亜美(小説家として幻冬舎よりデビュー)との3名で、“リアルコーヒー”として、実写短編映画を渋谷ユーロスペースで上映する(2015)。

“REAL MORNING COFFEE”は、乙・桜井・舞城との3名として“リアルコーヒー”へと発展していた。

制作・配給・宣伝のすべてを3人で手がけ、映画上映時には、来場者に書き下ろし限定小説を配布した。

 

この間も舞城は、講談社ノベルス電撃文庫KADOKAWA アスキー・メディアワークス)・メディアワークス文庫KADOKAWA アスキー・メディアワークス)をまたにかける覆面作家で乙も含む“越前魔太郎”の一人としても、舞城は活動している(2010)。

 

これほど活発な活動を続けながらも舞城は、乙のように一から出直すというようなことでなく、デビューから未だにその姿を明らかにしていない。

舞城は、こう述べている。

 

物語の受け取り方について、読者、視聴者、観客の方々の解釈を限定したくない、狭めたくない、独自性を確保したいという気持ちから姿も声もできるだけ出さずにお仕事をさせていただいています。

 

その後も、舞城は、00年代にニューメディアとして登場したTwitter上で、「深夜百太郎」と題した恐怖話を、写真家・佐内正史のモノクロ写真を添付し、つぶやいた。

同名の単行本化を行い、「入口」「出口」の2冊分にわけ、ナナロク社から出版した(2015)。

ナナロク社は、新興の社員数名の小さな出版社になる(2008-)。

 

このブロックの最後に、メフィスト賞出身者たちのその後も見ておこう。

 

清涼院流水は、編集長となり、WEB上に、The BBBを立ち上げた(2012)。

名称は、「時代の閉塞感を一点突破する先頭集団を志す本たち」の英文の頭文字からとられた。

全世界配信を掲げ、英語による電子書籍化を行っている。

メンバーには、森博嗣蘇部健一積木鏡介高田崇史秋月涼介矢野龍王メフィスト賞出身が名を連ねている(ここに桜井亜美も加わる)。

 サイト上では、ポートレイトを掲載していない。

 

 

*原典:

私家版『文芸メディア発展史~文芸家/写真家/編集者の追いかけっこ~』(2016年9月発行)

*主な参考資料:

 KAI-YOU「『龍の歯医者』はこうしてつくられた! 濃厚すぎるアニメ(ーター)見本市の裏側」(2014)

映画ナタリー「乙一、桜井亜美、舞城王太郎のオムニバス映画公開、イベントに岩井俊二や行定勲も」(2015)

 

f:id:miyakeakito2012:20170805221533j:plain

筆者執筆参加。文芸家26名のポートレイトを収めた写真冊子『著者近影』(松蔭浩之撮影・デザイン/男木島図書館2016年4月発行)は、MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店(渋谷)、タコシェ(中野)、NADiff a/p/a/r/t(恵比寿)の店頭などにて、現在手にとって頂けます。

収録文芸家:
青山七恵/池井戸潤/池澤夏樹/冲方丁/大野更紗/金原ひとみ/京極夏彦/窪美澄/沢木耕太郎/篠田節子/高橋源一郎/滝口悠生/谷川俊太郎/俵万智/辻村深月/堂場瞬一/早見和真/平野啓一郎/穂村弘/三浦しをん/道尾秀介/本谷有希子/森村誠一/山田詠美/吉田修一/吉本ばなな

名作の無料化 開始

<第5章 そして作家が消えた>

---2 出版社も消えた―――ネット場を巡って

①―――作者没後50年のライブラリー  青空文庫創刊  流通の流れを変えろ

 

1997年、インターネット上に青空文庫が開館した。

Windows 95マイクロソフトが発売し、飛躍的にパソコンが普及していくことになった2年後になる。

 

この年、ネット上で、作者の死後50年を経過した著作権の切れた作品を、誰もが自由に読めることが可能になった。

富田倫生、野口英司、浜野智、八巻美恵、らんむろ・さてぃ、LUNA CATの6人が設立呼びかけ人となった(代表は立てられてはいない)。

 

富田は、青空文庫を始める年に出版した『本の未来』(アスキー)で、学生時代の友人の言葉を書いている。

 

一九七〇(昭和四十五)年を前後する我々の高校時代には、世界的な学生運動の熱がみなぎっていました。
時代の熱にあおられた友人の一人は、六〇年代が終わって騒動がばたばたと片づく中で、向かうべき場所を見つけようとしばらくのあいだもがき続けます。その彼が、パーソナルコンピューターに、心の拠り所を見つけました。
「コンピューターという強力な武器で、国家や大資本が独占する状況がこれで崩せる」
彼は久しぶりの晴れやかな表情で、そう語りました。

 

"パーソナルコンピューター”は、科学者アラン・ケイによって提唱された(1972)。

ケイは、ゼロックスパロアルト研究所の設立に参加。

アップル社の共同設立者スティーブ・ジョブズマイクロソフト社の共同設立者ビル・ゲイツにも多大な影響を与えた。

 

富田自身の体験としては、早稲田大学卒業後、ジャーナリストとして書き下ろした自著『パソコン創世記』(1985/旺文社)が、廃刊・裁断となったことがある。

青空文庫は、絶版になってしまった本を、長く読んでもらえる方法の試みでもあった。

それは、出版社―取次―書店という流通の流れを変えることも意味していた。

 

すでに、70年代のアメリカに、<プロジェクト・グーテンベルグ>の先行事例があった。

イリノイ大学の学生だったマイケル・ハートが、著作権の切れた古典を、ボランティアの力を借りてデジタルテキスト化し、コンピューター・ネットワーク上で公開していた。

日本でも、岡島昭浩(現・大阪大学大学院・文学部教授)が、夏目漱石森鴎外芥川龍之介中島敦など、著作権の切れた日本文学をネットワーク上に公開していた。

 

岡島の協力も仰いだ最初の青空文庫には、与謝野晶子『みだれ髪』の明治43年版(1901年、東京新詩社・伊藤文友館刊行)と昭和8年版、森鴎外高瀬舟」(1906年『中央公論』掲載)、二葉亭四迷「余が言文一致の由来」(1906年『文章世界』掲載)、中島敦山月記」(1942年『文學界』掲載)の5作が選ばれた(1997)。

 

同年、CD-ROM製品内で取り上げられた青空文庫の紹介ファイルには、富田の「短く語る「本の未来」」(1997/『読売新聞」掲載)と津野海太郎『本はどのように消えてゆくのか』(1996/晶文社)の存命中の2人の作品に加えて(*富田は2013年逝去)、芥川龍之介羅生門」(1915年『帝国文学』掲載)、北原白秋訳「マザーグース」(1920年『赤い鳥』掲載)、宮沢賢治銀河鉄道の夜」(1934年「宮沢賢治全集」)らを収めた。

 

以後、ボランティアスタッフの協力によって、青空文庫の点数は増えていき、菊池寛太宰治が加わるなど(1999)、開館から3年後には1000点を超えた。

 

やがて、青空文庫は、ボランティアスタッフの特性も現れてくるようになる。

与謝野晶子訳の紫式部源氏物語」、岡本綺堂「半七捕物帳」シリーズ、中里介山の大長編『大菩薩峠』、「宮本百合子全集」などが公開された。

 

 

*原典:

私家版『文芸メディア発展史~文芸家/写真家/編集者の追いかけっこ~』(2016年9月発行)

*主な参考資料:

富田倫生『本の未来』(1997/アスキー

野口英司編著『「インターネット図書館 青空文庫』(2005/はる書房)

 

f:id:miyakeakito2012:20170805221533j:plain

筆者執筆参加。文芸家26名のポートレイトを収めた写真冊子『著者近影』(松蔭浩之撮影・デザイン/男木島図書館2016年4月発行)は、MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店(渋谷)、タコシェ(中野)、NADiff a/p/a/r/t(恵比寿)の店頭などにて、現在手にとって頂けます。

収録文芸家:
青山七恵/池井戸潤/池澤夏樹/冲方丁/大野更紗/金原ひとみ/京極夏彦/窪美澄/沢木耕太郎/篠田節子/高橋源一郎/滝口悠生/谷川俊太郎/俵万智/辻村深月/堂場瞬一/早見和真/平野啓一郎/穂村弘/三浦しをん/道尾秀介/本谷有希子/森村誠一/山田詠美/吉田修一/吉本ばなな

「闘うイラストーリー・ノベルスマガジン」から「闘うコミックマガジン」へ

<第5章 そして作家が消えた>

---1 ポートレイトも消えた―――覆面作家続々と

⑤―――講談社発『コミックファウスト』『パンドラ』創刊

 

2006年、太田克史は、『コミックファウスト』を刊行する。

母体となった『ファウスト』創刊号の表紙には「闘うイラストーリー・ノベルスマガジン」と掲げられたが、『コミックファウスト』には「闘うコミックマガジン」のキャッチコピーが表紙に記された。

直訳すれば、「漫画雑誌」になる。

 

誌面では、西尾維新の「放課後、七時間目。」を原作とし、同人誌出身の高河ゆんが漫画化。

西尾が、同人誌出身の女性漫画家集団CLAMPが『週刊ヤングマガジン』(講談社)で連載していた漫画『XXXHOLiC』をノベライズする試みを行った。

このとき、舞城王太郎は漫画「ぬるつべピリリ」を手がけている。

また、太田が同時に進めていた、海外との取り組みの成果として、台湾のVOFAN、香港の門小雷、韓国のパク・ソンウの漫画を掲載している。

 

同年、太田は、新設された海外文芸部から、台湾版と韓国版の『ファウスト』も刊行。

国内ではエッジでありながら世界中にファンがいると太田が語る香港の映画監督ウォン・カーウァイの方法論を目指したいと語った。

さらに同年、装丁を箱入りに統一した新レーベル・講談社BOXを創刊した。

 

以後、『ファウスト』そのものは停滞するが、このとき、太田は、講談社の本社を離れ、近くの雑居ビルに、編集部を立ち上げている。

小規模な体制をとり、印刷業者との修正時間のロスを短縮すべくDTPオペレーターの配置を行った。

 

講談社BOXは、新刊を刊行する一方で、講談社BOX新人賞流水大賞”を創設する(第2回メフィスト賞受賞者・清涼院流水に由来する)。

「小説」「イラスト」「批評・ノンフィクション」の3部門を設けた。

 

さらに、北田ゆう子(講談社BOX編集部)が編集長となり、講談社BOXマガジン『パンドラ』を創刊する(2008)。

表紙には「思春期の自意識を生きるシンフォニー・マガジン」「文芸と批評とコミックが「交差(クロスオーバー)」する」とキャッチコピーが掲げられた(現在全4巻)。

流水大賞の掲載媒体ともなった。

 

全7回となった受賞者を見ておこう。

小柳粒男(優秀賞)②泉和良(優秀賞)・梓(優秀賞)③黒乃翔(優秀賞)・天原聖海(優秀賞)④受賞者なし⑤鏡征爾(大賞)⑥岩城裕明(優秀賞)・辻鷹佑(優秀賞)⑦至道流星(大賞)・杉山幌(大賞)・ウノサワスバル(大賞)

受賞者のほとんどがポートレイトを公表していない。

第7回以後は、講談社BOX新人賞“Powers”と変更され、批評・ノンフィクション部門は消滅(2009)。

名称変更にあわせ、講談社BOXの新レーベル“POWER BOX”を新設する。“Powers”は、その後、イラスト部門も消滅したのち、メフィスト賞に統合された(2014)。

 

太田は、2010年、講談社の子会社・星海社へ移動。

ファウスト』は、奈須きのこ(ポートレイトは公表されていない)らを推し、宇山へのアンサーといえる“新伝綺”の提唱を行ったりもしたが、最新号は2011年に出たVol.8となっている。

 

 

*原典:

私家版『文芸メディア発展史~文芸家/写真家/編集者の追いかけっこ~』(2016年9月発行)

*主な参考資料:

渡辺浩弐『ひらきこもりのすすめ2.0』(2007/講談社BOX

季刊 島田荘司 on line「島田荘司のデジカメ日記 第244回」

季刊 島田荘司 on line「島田荘司のデジカメ日記 第280回」

 

f:id:miyakeakito2012:20170805221533j:plain

筆者執筆参加。文芸家26名のポートレイトを収めた写真冊子『著者近影』(松蔭浩之撮影・デザイン/男木島図書館2016年4月発行)は、MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店(渋谷)、タコシェ(中野)、NADiff a/p/a/r/t(恵比寿)の店頭などにて、現在手にとって頂けます。

収録文芸家:
青山七恵/池井戸潤/池澤夏樹/冲方丁/大野更紗/金原ひとみ/京極夏彦/窪美澄/沢木耕太郎/篠田節子/高橋源一郎/滝口悠生/谷川俊太郎/俵万智/辻村深月/堂場瞬一/早見和真/平野啓一郎/穂村弘/三浦しをん/道尾秀介/本谷有希子/森村誠一/山田詠美/吉田修一/吉本ばなな