芥川龍之介 ポップスターになっていく裏側で
<第1章 文芸家ポートレイト/文学賞事始>
---1 “円本”登場 文芸家をキャラ化
④――――編集者・芥川龍之介VS物言う収録文芸家 “円本”ブームの苦悩も
関東大震災の当日(1923年9月1日)、芥川龍之介は、興文社の石川寅吉から『近代日本文学読本』の編集作業の依頼を受けている。
興文社は、教科書や英語関係書を得意とした老舗出版社になる。
『近代日本文学読本』は、文部省(現・文部科学省)の検定を受け、中学校用として、明治・大正の文芸家たちの作品を集めた副読本が目指された。
1889年(明治22年)、大日本帝国憲法の発布をきっかけとし、国文学の形成が行われていく。
『日本文学史』(金港堂)が登場し、『日本文学全集』『帝国文庫』(ともに博文館)などが刊行されるが、教科書的側面の『近代日本文学読本』もこの流れにある。
『近代日本文学読本』は、最終的には、学習院の仲間で作られた同人文芸雑誌『白樺』(1910年創刊)の同人2人の収録にこだわったことで文部省の検定は受けられなかった。
その2人とは、女性雑誌『婦人公論』の美人編集者と名高かった人妻・波多野秋子と情死した有島武郎、理想郷を目指した「新しき村」運動に取り組んでいた武者小路実篤になる。
けれども、全5巻。随筆・日記・戯曲・詩歌・評論・翻訳、148篇を収録。各巻1円70銭の定価で、出版には至った(1925年11月)。
この『近代日本文学読本』には存命している文芸家が多数含まれたが、収録文芸家の一人で尾崎紅葉門下の徳田秋声は、無断転用されたと物言いをつけた。
教科書が目的の場合、無断転載は当時としては起こりえることだったようだが、芥川にとって、こうした物言い、また印税を独り占めしたといった声もで、耐え難かったという。
すぐさま10円切手を各文芸家へ送っている。
興文社の騒動はまだ続く。
興文社は、“円本”ブームのなか、江戸文芸を多数収めた『日本名著全集』(1926)を発刊した翌年、『小学生全集』の広告を『東京朝日新聞』に打つ。
この全集の編集は、菊池寛(文藝春秋の創業者)と芥川の連名だった。
しかし、同じ新聞紙面には、同様の内容と受け取れる、アルス社の『日本児童文庫』の広告が掲載された。
この企画の元を巡って、興文社とアルス社のあいだで裁判が起こる。
原因は、広告代理店・博報堂がアルス社の企画を興文社側へ漏らしたことにあったという。
芥川は、“円本”が売れていく様子を見ながら、編集にまつわる気苦労、金銭にまつわる気苦労を十二分に味わっていた。
*原典:
私家版『文芸メディア発展史~文芸家/写真家/編集者の追いかけっこ~』(2016年9月発行)
*主な参考資料:
武藤清吾『芥川龍之介編『近代日本文芸読本』と「国語」教科書 教養実践の軌跡』(2011/溪水社)
紀田順一郎『内容見本にみる出版昭和史』(1992/本の雑誌社)
筆者執筆参加。文芸家26名のポートレイトを収めた写真冊子『著者近影』(松蔭浩之撮影・デザイン/男木島図書館2016年4月発行)は、MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店(渋谷)、タコシェ(中野)、NADiff a/p/a/r/t(恵比寿)の店頭などにて、現在手にとって頂けます。
収録文芸家:
青山七恵/池井戸潤/池澤夏樹/冲方丁/大野更紗/金原ひとみ/京極夏彦/窪美澄/沢木耕太郎/篠田節子/高橋源一郎/滝口悠生/谷川俊太郎/俵万智/辻村深月/堂場瞬一/早見和真/平野啓一郎/穂村弘/三浦しをん/道尾秀介/本谷有希子/森村誠一/山田詠美/吉田修一/吉本ばなな