誰でも写真家の時代がやってきた

<第1章 文芸家ポートレイト/文学賞事始>

---2 ライカ登場 編集者VS写真家

③―――“著者”を巡る名取洋之助土門拳の攻防  プロとアマをわけるもの

 

木村伊兵衛が抜けた後、名取洋之助が始めた第2期日本工房に、土門拳が加わる。

 

現在、リアリズム写真の代名詞として語られる土門が26歳の年になる。

土門は、神奈川県立横浜第二中学校(現・翠嵐高校)卒業後、画家になる夢をあきらめ、遠縁にあたる宮内幸太郎の写真館(湯島天神)で修行を積んでいた。

その頃、名取の出した求人広告を見て応募する。

 

しかし、木村と同じく、土門も名取と決裂した。

 

名取は、土門らが撮影した写真を、海外の通信社に送る際、「Photo Natori」の名義で送っていた。

社員として会社の機材一式を使用していたものの、著作権を認められない状況に我慢できなかった土門は、女性雑誌『婦人画報』の仕事で撮影した国務大臣宇垣一成の写真を、『LIFE』に向けて、「Photo Domon Ken」の名義で、通信社に送り、掲載された。

しかもこのとき、同じく宇垣を撮影し、『LIFE』へ写真を送っていた、先輩・木村伊兵衛にも競り勝った。

 

その結果、土門は名取の下を去ることになった。

その後、土門は、国際文化振興会(外務省外郭団体)の嘱託カメラマンとなる。

 

土門との対立について直接ふれているわけではないが、また土門はライカを主要な機材としたわけではなかったが、次の発言から、名取の考えを理解することができる。

 

生活のために写真を撮るということは、私の場合、ただ口の糧をするという軽いことではありません。

写真というものが実用美術の領域のものであり、純粋な芸術だけでなくなるということを意味しています。

実用美術というものは、決して作者の自由なファンタジーの所産ではないのです。

いろいろの条件があって、その条件にあてはめてゆかなければならない条件美術です。

けれども、条件美術だといっても、私はべつに侮辱されているとは思いません。

むしろ条件美術だからこそ、写真には広範囲な利用価値があるのではないでしょうか。

 

ライカの出現まで、プロとアマの違いはカメラを見れば一目でわかるもの、大きく複雑な組立てカメラを使うのがプロ、手持ちのカメラを持っているのがアマチュアということになっていましたが、ライカの出現で、プロもアマチュアも同じ小型カメラを使うようになりました。

機械操作の腕の違いによるプロとアマチュアの区別は、ライカが解消してしまいました。

(引用者中略)それまで、写真についてなにも知らなかった私が、わずか一週間の手ほどきを受けただけで、写真が写せるようになったのも、このライカのためでした。

 

 

*原典:

私家版『文芸メディア発展史~文芸家/写真家/編集者の追いかけっこ~』(2016年9月発行)

*主な参考資料:

名取洋之助『写真の読み方』(1963/岩波新書

中西昭雄『名取洋之助の時代』(1981/朝日新聞社

篠山紀信対談集『紀信快談』(1976/朝日新聞社

 

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筆者執筆参加。文芸家26名のポートレイトを収めた写真冊子『著者近影』(松蔭浩之撮影・デザイン/男木島図書館2016年4月発行)は、MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店(渋谷)、タコシェ(中野)、NADiff a/p/a/r/t(恵比寿)の店頭などにて、現在手にとって頂けます。

収録文芸家:
青山七恵/池井戸潤/池澤夏樹/冲方丁/大野更紗/金原ひとみ/京極夏彦/窪美澄/沢木耕太郎/篠田節子/高橋源一郎/滝口悠生/谷川俊太郎/俵万智/辻村深月/堂場瞬一/早見和真/平野啓一郎/穂村弘/三浦しをん/道尾秀介/本谷有希子/森村誠一/山田詠美/吉田修一/吉本ばなな