雑誌時代がやってきた

<第1章 文芸家ポートレイト/文学賞事始>

 --3 人名を冠した文学賞創設―――直木三十五賞芥川龍之介賞

木村伊兵衛が「ライカによる文芸家肖像写真展」を開催した2年後、菊池寛によって、直木賞芥川賞が創設される。

名取洋之助がライカの登場によって誰でも写真家になれると述べた時期、ジャンルや出版社名ではなく、人名を冠した文学賞だった。

①――編集者・菊池寛文藝春秋』創刊  ニューメディアの誕生ラッシュのなかで

 

1923年、関東大震災が起こる8ヶ月前、菊池寛は、文藝春秋社(*現・文藝春秋)を創業。私財を投じて同人雑誌『文藝春秋』を創刊する。創刊号には次のように書いた。

 

もとより、気まぐれに出した雑誌だから、何ら定見もない。原稿が集まらなかったら、来月には廃すかも知れない。

また、雑誌も売れ景気もよかったら、拡大して、創作ものせ、堂々たる文芸雑誌にするかも知れない。

 

ここから大きな目標があって創刊されたわけでないことがわかる。

それが『文藝春秋』の始まりだった。

印刷・販売は、老舗の春陽堂に委託している。

 

創刊号の寄稿メンバーは、菊池も参加していた東京帝国大学(現・東京大学)系の同人文芸雑誌『新思潮』出身の芥川龍之介久米正雄

同人文芸雑誌『蜘蛛』出身の川端康成佐々木味津三・斉藤龍太郎ら菊池より下の世代。

菊池の友人の横光利一直木三十五(当時三十二)ら。

28ページの冊子に、28名が原稿を寄せた。

 

すでに人気文芸家だった菊池は、ロシア革命をきっかけとする日本共産党の創設(1922)の動きなど、国内で吹き荒れていたプロレタリア(労働者・無産者)思想に否定的だった。

文藝春秋』では、売れている書籍や著者を揶揄するゴシップ記事も多かったが、自由主義の立場をとる考えからだった。

結果、多くの読者をとらえ、創刊号の3千部から、発行部数は4千部、6千部、1万部と増え、創刊4年後には11万部となった。

 

関東大震災の翌年、川端康成横光利一らが同人を離れ、芸術を至上とした同人文芸雑誌『文藝時代』(金星堂)を創刊する(1924)。

この頃、『文藝春秋』は、同人誌的な体裁から、時評や座談会などを含む総合雑誌へと生まれ変わった。

 

その後は、菊池の衆議院選挙出馬をきっかけに(*落選)、株式会社化。

菊池が編集から社長となり、佐佐木茂索が文芸家から編集者へと転身し、組織を盛り立てていくことになる(1930)。

 

当時の文壇状況について、菊池は次のように述べている。

 

大正五、六年頃(*引用者注…1922,23年頃)の、文芸欄を中心とする綜合雑誌は、中央公論一つであった。明治末から大正初期にかけて、活躍していた博文館の「太陽」「文藝倶楽部」などは既に衰微していた。

(引用者中略)娯楽方面は、講談社に食われかけていたのである。

(引用者中略)中央公論以外には、「新潮」「新小説」が、文芸雑誌として活躍していた。

が、「新小説」にも人がなく、もう衰凋を示していた。

中央公論」の独歩の勢いに対して、いろゝの綜合雑誌が企画された、「中外」「新日本」「新時代」「解放」「改造」「大観」などである。

が、これらの多くは、二、三年で廃刊した。

残ったのは、「改造」一つである。

これは、やはり山本実彦と云う人物がいたためである。

 

菊池がふれた『改造』の山本実彦は、『現代日本文学全集』を刊行した、山本になる。

菊池は、雑誌の発展は、編集者の力であることを力説した。

 

博文館の『太陽』『文藝倶楽部』の衰退の理由を、主宰者が出版事業以外に手を出したことと述べた。

西本願寺系から始まった総合雑誌『中央公論』(1887年創刊)には編集長・滝田樗陰(夏目、芥川らの後輩にあたる東京帝国大学・英文科、法科中退)が、世界文学の文庫化でその名を知らしめていた新潮社の文芸雑誌『新潮』(1904年創刊)には編集者の中村武羅夫(小学校の代用教員から尾崎紅葉門下の小栗風葉に師事。作家としても活躍)がいたため、継続的に発展したと指摘する。

 

また、『文藝春秋』創刊の時期は、婦人雑誌が一気に花開いた時期でもあった。

『女学世界』(1901年創刊/博文館)『婦人画報』(1905年創刊/近事画報社*現・ハースト婦人画報社)『婦女界』(1910年創刊/婦女界社)『主婦の友』(1917年創刊/主婦之友社*現・主婦の友社『婦人公論』(1916年創刊/中央公論社*現・中央公論新社)『婦人倶楽部』(1920年創刊/大日本雄辯會*現・講談社)などになる。

 

成人した女性を読者層としたニューメディアは、『中央公論』『新潮』『改造』と競うことになる、新たな文芸の場にもなっていく。

菊池は、婦人雑誌への執筆について、「純文学家として節操を売るのであるから、相当もらってもいいと思う」と両者の関係を述べている。

 

さらにここに、新聞社系の週刊誌『週刊朝日』『サンデー毎日』も加わり(ともに1922年創刊)、書く場所が増え続けるなかでの『文藝春秋』の創刊だった。

菊池は、さらに『演劇新潮』を新潮社から継承し、『映画時代』も創刊している(ともに1926)。

 

 

*原典:

私家版『文芸メディア発展史~文芸家/写真家/編集者の追いかけっこ~』(2016年9月発行)

*主な参考資料:

菊池寛『作家の自伝10 菊池寛』(1994/日本図書センター

菊池寛『菊池寛 話の屑籠と半自叙伝』(1988/文藝春秋

 

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筆者執筆参加。文芸家26名のポートレイトを収めた写真冊子『著者近影』(松蔭浩之撮影・デザイン/男木島図書館2016年4月発行)は、MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店(渋谷)、タコシェ(中野)、NADiff a/p/a/r/t(恵比寿)の店頭などにて、現在手にとって頂けます。

収録作家:
青山七恵/池井戸潤/池澤夏樹/冲方丁/大野更紗/金原ひとみ/京極夏彦/窪美澄/沢木耕太郎/篠田節子/高橋源一郎/滝口悠生/谷川俊太郎/俵万智/辻村深月/堂場瞬一/早見和真/平野啓一郎/穂村弘/三浦しをん/道尾秀介/本谷有希子/森村誠一/山田詠美/吉田修一/吉本ばなな