混乱する直木賞と芥川賞

<第1章 文芸家ポートレイト/文学賞事始>

 --3 人名を冠した文学賞創設―――直木三十五賞芥川龍之介賞

―――直木賞芥川賞はあいまいだった  文芸家/編集者・木々高太郎の暗躍

 

直木三十五賞芥川龍之介賞は、当初は現在のような安定した賞ではなかった。

その後も選考委員に名を連ねた谷崎潤一郎は1度も選考会には出席せず、直木賞では選考委員が出席しないため、芥川賞の選考委員である室生犀星佐藤春夫が加わるような状態だった。

 

さらに、受賞してもすぐに執筆依頼が増えるような状況でもなく、純文学とみなされていた井伏鱒二が『ジョン萬次郎漂流記』(河出書房*現・河出書房新社の文学叢書書き下ろし)とその他『オール讀物』(文藝春秋)掲載物で直木賞を受賞する(1937年・受賞当時39歳)。

 

戦後、両賞の創設者・菊池寛没後も、木々高太郎(探偵小説で第4回直木賞受賞。慶応義塾大学・文学部系の文芸雑誌で永井荷風主幹で始まった『三田文学』の当時編集主幹)が選考委員の一人を務めるなか、柴田錬三郎の『デスマスク』(『三田文学』掲載)は芥川賞直木賞に同時ノミネートされ(1951)、『イエスの裔』(『三田文学』掲載)で直木賞を受賞(1951年・受賞時34歳)。

推理小説作家・松本清張が「或る『小倉日記』伝」(『三田文学』掲載)で芥川賞を受賞したときは、直木賞の候補作から急遽、芥川賞に回ったようなこともあった(1952年・受賞当時43歳)。

 

菊池の「直木賞は大衆文芸の新進作家・芥川賞は純文芸の新進作家」という考えで始まったものの、両賞の区別はある時期まであいまいだった。

現在の両賞のイメージが生まれるのは、戦後のニューメディア誕生ラッシュ期までかかる。

 

 

*原典:

私家版『文芸メディア発展史~文芸家/写真家/編集者の追いかけっこ~』(2016年9月発行)

*主な参考資料:

『芥川賞・直木賞150回全記録』(2014/文藝春秋) 

菊池寛『菊池寛 話の屑籠と半自叙伝』(1988/文藝春秋

 

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筆者執筆参加。文芸家26名のポートレイトを収めた写真冊子『著者近影』(松蔭浩之撮影・デザイン/男木島図書館2016年4月発行)は、MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店(渋谷)、タコシェ(中野)、NADiff a/p/a/r/t(恵比寿)の店頭などにて、現在手にとって頂けます。

収録文芸家:
青山七恵/池井戸潤/池澤夏樹/冲方丁/大野更紗/金原ひとみ/京極夏彦/窪美澄/沢木耕太郎/篠田節子/高橋源一郎/滝口悠生/谷川俊太郎/俵万智/辻村深月/堂場瞬一/早見和真/平野啓一郎/穂村弘/三浦しをん/道尾秀介/本谷有希子/森村誠一/山田詠美/吉田修一/吉本ばなな