文壇アイドル登場

<第1章 文芸家ポートレイト/文学賞事始>

 --4 女性の文学賞創設―――一葉賞と女流文学賞

①―――中央公論社発 アイドル・豊田正子登場  川端康成が後押し

 

直木三十五賞芥川龍之介賞(1935年創設)、千葉亀雄賞・池谷信三郎賞(1936年創設)、菊池寛賞(1938年創設)が誕生しているあいだ、当時15歳の少女による一冊の本が売れている。

それは、豊田正子原作『綴方教室』になる。

中央公論』を人気文芸雑誌に導いた編集長・滝田樗陰が没した12年後、中央公論社(現・中央公論新社)が刊行した(1937)。

綴方とは作文のことになる。

 

まず、夏目漱石の門下生で、児童文学者の鈴木三重吉の『綴方読本』(中央公論社)が刊行された(1935)。

鈴木が主宰する児童文芸雑誌『赤い鳥』に投稿された綴方を元に作られた。

その姉妹編として、鈴木の活動に共感していた小学校教師の大木顕一郎と清水孝治の共著として、『綴方教室』は刊行された。

大木は、豊田正子の小学校時代の担任で、『赤い鳥』に掲載された豊田の小学校時代の綴方をまとめた。

東京の下町育ちで、小学生の頃から工場に働きに出ていた豊田は、子供の目線によって庶民の生活を綴っている。

編集は、『赤い鳥』から中央公論社へ移り、『婦人公論』の編集者となった木内高音が手がけた。

 

この『綴方教室』を原作に、築地小劇場から分かれた新築地劇団が、山本安英主演で舞台化する。

その際、一人の貧しい少女が綴り方の才能を発揮していく物語に仕立てられた(1938)。

同年、当時14歳の人気子役・高峰秀子主演によって東宝でトーキー映画化され(監督・山本嘉次郎)、『綴方教室』は売れていく。

こうした過程で、木下・清水の共著から、豊田が原作として知られていく。

作者は後から見出された。

 

豊田は、NHKラジオで朗読。

映画の撮影現場に原作者として訪問した際、新聞が大きく取り上げる。

映画公開の同月には日本コロムビアから本人朗読のレコードも発売され、本人の顔写真入り(撮影者不明)の広告が制作される。

こうして豊田は、高峰とも重ね合わされ、現代の言葉でいえばアイドル的な人気を見せていく。

 

その人気から、豊田正子名義で『続綴方教室』(中央公論社)も刊行(1939)。

婦人公論』で自叙伝となるエッセイを1年間発表し、『粘土のお面』と題され、単行本化された(1941/中央公論社)。

 

この豊田の後押しを川端康成が行っている。

川端は、当時、『東京朝日新聞』で文芸時評を行っていた。

そこで、『中央公論』の「女流短編小説特集」『新潮』『文學界』『三田文学』に掲載された女性の文芸家たちにふれ、それらの大人と豊田を並べても十分立派と誉めた(1938)。

 

そのときの女性文芸家は、次になる。

岡本かの子川端康成指導)、中本たか子(『女人芸術』参加)、矢田津世子武田麟太郎門下。『女人芸術』参加)、小山いと子(橋田東聲門下)、円地文子小山内薫に師事。『女人芸術』参加)、田村(佐藤)俊子(幸田露伴門下)、宇野(藤村)千代(『時事新報』懸賞短編小説で文壇デビュー)、中里(佐藤)恒子(川端康成門下。女性初の芥川賞受賞者)、池田(網野)小菊(志賀直哉門下)、美川きよ(『三田文学』で文壇デビュー)だった。

 

そして川端は、こう書いた。

 

私は子供の文章や、素人(職業的文筆婦人でない)の女性の文章を読むのが好きである。芸術には、子供的なるもの、女性的なるものが、多分に含まれている。

 

宮本百合子は、この時代のことを盛んに書いている。

日本女子大学校(現・日本女子大学)在学中、『中央公論』に、中条百合子名義で送った「貧しき人々の群」(1919)が滝田に認められ、文壇デビューした宮本は、その後、坪内逍遥に師事。

海外生活を経て、プロレタリア運動に参加。

日本共産党に入党する。

宮本顕治(のち日本共産党書記長)と婚姻関係を結んだ。

 

こうした背景を持つ宮本は、治安維持法下の元で、多くのプロレタリア文芸家が<転向>を行ったあと、豊田が登場してきたと語る。

 

素人の文学ということが言い始められた。

職業的な作家が書けない生活の直接の記録の面白さという点でいわれたのであったが(引用者中略)大局からみればやはり文学の夥しい自己喪失を意味するものであった。

 

豊田正子の「綴方教室」小川正子の「小島の春」(*引用者注…ハンセン病治療にあたった女医の体験記)などが、この波頭であった。

これらの本は、文学では生産文学、素材主義の文学が現れて生活の実感のとぼしさで人々の心に飢渇を感じさせはじめた時、玄人のこしらえものよりも、素人の真実な生活からの記録がほしいという気持から、女子供の文章の真率の美がやや感傷的に評価されはじめたとき、あらわれて、出版部数の多さでも一つの記録をこしらえた本なのであった。

 

さらに、宮本は、川端についてこう述べた。

 

生活の現実を現実のまま文学に反映すべきであるという一つの要求は、生活者としての現実が多様、広汎であるという面から、素人の文学を求め、それを評価しようとする傾向をも示した。

川端康成氏が、女子供の文章のいつわりなさを文学の一つの美として強調されたのもこの頃であったと思う。

 

豊田人気は、石川達三(第1回芥川賞受賞者)が「生きている兵隊」(1938)で中国戦線の現状を書いた際、その描写から掲載誌『中央公論』は発禁処分になり、石川は禁固4ヶ月・執行猶予3年の判決を受けていたのと同じ時代になる。

 

 

*原典:

私家版『文芸メディア発展史~文芸家/写真家/編集者の追いかけっこ~』(2016年9月発行)

*主な参考資料:

滑川道夫 聞き手: 富田博之『体験的児童文化史』(1993/国土社)

十重田裕一『横断する映画と文学(日本映画史業書)』(2011/森話社

田中純一郎『日本映画発達史』(1957-76/中央公論

『川端康成全集』(1949/新潮社)

宮本百合子「昭和の十四年間」(1940)「若い婦人の著書二つ」(1940)「女性の書く本」(1941)「婦人と文学」(1947)(青空文庫

 

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筆者執筆参加。文芸家26名のポートレイトを収めた写真冊子『著者近影』(松蔭浩之撮影・デザイン/男木島図書館2016年4月発行)は、MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店(渋谷)、タコシェ(中野)、NADiff a/p/a/r/t(恵比寿)の店頭などにて、現在手にとって頂けます。

収録文芸家:
青山七恵/池井戸潤/池澤夏樹/冲方丁/大野更紗/金原ひとみ/京極夏彦/窪美澄/沢木耕太郎/篠田節子/高橋源一郎/滝口悠生/谷川俊太郎/俵万智/辻村深月/堂場瞬一/早見和真/平野啓一郎/穂村弘/三浦しをん/道尾秀介/本谷有希子/森村誠一/山田詠美/吉田修一/吉本ばなな