土門拳初の写真集は文芸家のポートレイトから
<第2章 顔をさらすから身をさらすへ>
---1 文芸家ポートレイトが文芸雑誌の連載企画に
ここまで『小説新潮』『文藝春秋』の戦後復興期の動きを見たが、同時期の写真雑誌の動きも見よう。
③―――写真家/編集者・桑原甲子雄とアルスの戦後復興 土門拳の神格化
写真家・土門拳は、著名人を撮らえた人物写真集『風貌』(アルス)を発表している(1953)。
土門は、先輩の写真家・木村伊兵衛初の個展「ライカによる文芸家肖像写真展」(紀伊国屋書店・銀座支店のギャラリー)の3年後、武田麟太郎(『文學界』同人)を仕事で撮影したのをきっかけに(1936)、ポートレイトの撮影を始める。
写真集としての企画自体は戦後からになるが(1948)、『風貌』には、最終的に83枚のポートレイトが収められた。
「僕の尊敬する人、好きな人、親しい人たち」を基準とし、文芸家では、幸田露伴、徳田秋声、土居晩翠、島崎藤村、正宗白鳥、永井荷風、斉藤茂吉、志賀直哉、谷崎潤一郎、井伏鱒二、吉田一穂、川端康成、宮本百合子、小林秀雄、高見順らを撮影している。
『婦人画報』『写真文化』などの雑誌の仕事での撮影、作家のつながり、編集者のつて、時には突然の申し出によって、撮影を行った。
こうして完成した『風貌』は、 土門初の写真集ともなった。
木村も土門も、最初にまとまった仕事は、文芸家のポートレイトを中心としたものだった。
けれども、戦前から始めた撮影時と出版時では、土門は変化している。
『風貌』に収録された文章には、民俗学者・柳田國男と「民俗と写真」と題した座談会のやりとりが記されている。
柳田先生は「一切の作為と演出を排して、相手が知らぬ間に撮った写真でなければ価値がない」と言われた。
(引用者中略)ところが当時僕は、徹底した組写真形式による報道的写真家の立場に立っていた。
(引用者中略)「写真的現実と視覚的現実は必ずしも一致していないから、専門の写真家としてはライティングなりアングルなりで技術的に修正しなければならぬ」とも主張した。
(引用者中略)それ以来、かれこれ十年経った。
今、僕は、社会的リアリズムの立場から、「絶対非演出」の「絶対スナップ」を自ら提唱している。
方法論としては明らかに柳田先生に屈服した形である。
”報道写真”を掲げ、情報伝達の手段として写真をもちいた名取洋之助の元でプロの写真家としての活動を開始した土門は、名取と訣別したのち、戦争をはさんで、一切の演出や加工を行わない”社会的リアリズム”の考えになっていた。
土門の『風貌』の出版を行ったアルスも、戦前と戦後で変化している。
出版社・アルス(ラテン語で「技」「技術」の意。アートの語源)は、1915年、誕生する。
大正初期の、文芸雑誌、女性雑誌、少女雑誌の創刊ラッシュと同時期にあたる。
『アルス』は、詩人・北原白秋の弟・鉄雄が立ち上げた。
6年後には、アマチュア向けの写真雑誌『カメラ』も創刊する。
明治期、榎本武揚らの日本写真会、尾崎紅葉・鏑木清方らの東京写友会など写真愛好家団体の動きがあったが、大正末期になってカメラの低価格が始まり、富裕層だけの楽しみから解放し、アマチュアカメラマンが増え始めていた。
『カメラ』は、その要望に応えた雑誌だった。
雑誌に先駆けてアルスは、カメラを趣味とした洋画家・三宅克己『写真の写し方』(1916)、『カメラ』編集長となる高桑勝雄『フィルム写真術』(1920)などを出版し、アマチュアたちへ撮影方法を指南した。
その後、『カメラ』は、戦時下の雑誌統制のなかで数冊の雑誌と統合され、『写真文化』となる。
写真家・石津良介編集長(戦後、桑原甲子雄・秋山庄太郎・林忠彦と植田正治・緑川洋一のプロとアマ混合の写真家集団・銀龍社結成)のとき、土門は、第1回アルス写真文化賞を受賞した。
土門34歳の年だった(1943)。
先ほどふれた柳田國男との対談が行われたのは、この『写真文化』でのことだった。
戦後も、アルスは、土門の場となっている。
『カメラ』は、『CAMERA』として復刊(1948)。
このとき、写真家・桑原甲子雄を編集長に迎える。
桑原は、これをきっかけに、編集者へ転じた。
桑原は、アマチュア向け雑誌からの脱却を図ろうと、翌年から木村伊兵衛・土門の口絵連載を開始。
そして、アマチュアの月例写真の選者に土門を招いた(1950年から)。
土門は、紙面で、先ほど引用した“社会的リアリズム”を提唱し、全国の写真愛好家の指針となっていく。
土門の月例写真会から2年後、桑原は、木村伊兵衛も選者に迎え、戦前対立していた土門と交互に選者を務めさせる。
この時期木村は、写真家・林忠彦の働きかけもあって、日本写真家協会の初代会長に就任していた時期で(1950年設立)、桑原の試みによって、木村と土門という2大作家のイメージが形成されていくことになった。
そうしたなか、アルスから世に放たれたのが、著名人のポートレイトを収めた写真集『風貌』(1953)だった。
しかし、以後、土門の主な関心は静物へと移り、『風貌』発行の3年後、『CAMERA』は廃刊となっている(1956)。
最終号は、再び、石津良介が編集長となっていた。
*原典:
私家版『文芸メディア発展史~文芸家/写真家/編集者の追いかけっこ~』(2016年9月発行)
*主な参考資料:
三宅克己『写真の写し方』(1916/アルス)
高桑勝雄『フィルム写真術』(1920/アルス)
大竹昭子『眼の狩人 戦後写真家たちが描いた軌跡』(1994/新潮社)
岡井耀毅『評伝 林忠彦 時代の風景』(2000/朝日新聞社)
筆者執筆参加。文芸家26名のポートレイトを収めた写真冊子『著者近影』(松蔭浩之撮影・デザイン/男木島図書館2016年4月発行)は、MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店(渋谷)、タコシェ(中野)、NADiff a/p/a/r/t(恵比寿)の店頭などにて、現在手にとって頂けます。
収録文芸家:
青山七恵/池井戸潤/池澤夏樹/冲方丁/大野更紗/金原ひとみ/京極夏彦/窪美澄/沢木耕太郎/篠田節子/高橋源一郎/滝口悠生/谷川俊太郎/俵万智/辻村深月/堂場瞬一/早見和真/平野啓一郎/穂村弘/三浦しをん/道尾秀介/本谷有希子/森村誠一/山田詠美/吉田修一/吉本ばなな