現在の芥川賞を生んだ石原慎太郎

<第2章 顔をさらすから身をさらすへ>

---3 ニューメディア誕生ラッシュで変わる文芸家像

松本清張ブーム(1960)が沸き起こる数年前、一人の大学生が芥川龍之介賞を受賞する。

受賞作の映画化以後、ここに、現在の芥川賞のイメージが生み出されていくことになる。

――第1回文學界新人賞受賞(1955)・石原慎太郎  生まれ変わった芥川賞

 

石原慎太郎は、一橋大学在学中の22歳の年、短編小説「太陽の季節」を、『文學界』(文藝春秋社*当時)に発表する(1955)。

 

石原は、マルキ・ド・サドジャン・ジュネの小説、ジャン・コクトーが小説『アンファンテリブル(恐るべき子供たち)』で描いた世界観を大きく意識し、大人を驚かせようと考えていたという。

太陽の季節」では、裕福でありながらも自堕落に生きる男子高校生が、愛した女性を自身の兄と金銭でやりとりするなど、複雑な愛の感情が描かれた。

 

石原の思惑通り、「太陽の季節」は、“ついに現れた戦後の青春像”のキャプションが添えられて掲載。

同年、第1回文學界新人賞を受賞した。

すぐに日活で映画化も決まる。

映画化の話が進んでいるなかで、その翌年、芥川賞も受賞する(第34回)。

受賞時の23歳は、当時史上最年少の受賞となった。

 

映画が決まっていたことから、石原は単行本化を急いでいたという。

東宝で助監督としての内定も決まっていた石原には(*入社1日で退社するが、芥川賞受賞で嘱託に)、当初からメディアミックス的な発想があった。

単行本化は、芥川賞受賞後、文藝春秋社からではなく、すぐさま新潮社が行い、その年のベストセラーの1位(出版指標年報)となっている。

 

日活映画『太陽の季節』(1956/監督・古川卓巳)は、当初、石原が主演するという話しもあったというが、特別出演となった(主演・長門裕之)。

石原の短い髪型は、“慎太郎カット”と呼ばれ、アロハシャツ、サングラスの姿を真似た若者たちは“太陽族”と呼ばれていく(大宅壮一命名)。

 

映画では、石原の手伝いとして映画の現場にやってきていた弟・裕次郎(当時・慶応大学生)が、日活プロデューサーの水の江瀧子(滝子)(松竹歌劇団1期生より転身)に見出され、俳優デビューとなる。

水の江製作による日活映画『太陽の季節』公開の同年、日活は3ヶ月連続で石原映画を制作した。

石原原作の映画『処刑の部屋』(監督・市川崑)、石原原作・脚本、裕次郎主演『狂った果実』(監督・中平康)を続けて公開。

テレビの普及以前、新作映画が毎週2作ペースで制作されていた当時、映画によって石原のイメージは増幅されていく。

石原は、大映映画『穴』(1957/監督・市川崑)では、作家と歌手の役で出演し、歌も披露している。

 

そして東宝で、石原は、原作・脚本を含む3本の映画で主演を務めた(堀川弘通監督『日蝕の夏』・松林宗恵監督『婚約指輪』・鈴木英夫監督『危険な英雄』)。

 

さらに、東宝藤本真澄プロデューサーの方針によって『若い獣』(1958)では、原作・脚本・出演に加えて、当時としては異例の異業種からの初監督も行った。

徒弟制度が確立していた映画会社の現場では、助監督たちからの猛反発が起こっているも実現している。

(結果、岡本喜八など当時の若手助監督に監督の門戸を開くことになっている)

 

こうした、石原の多彩な活動の背景には、伊藤整(代表作『女性に関する十二章』『文学入門』など)の助言があった。

 

伊藤は、石原の母校・一橋大学の先輩であり、第1回文學会新人賞の審査員を務め、「太陽の季節」を強く推していた。

 

伊藤は石原にこう述べたという。

文学以外のことでも興味が涌くものは何でもやったらいいと思うな。

(引用者中略)失敗したところで作家なんだから、今度はなんでそれに失敗したかを書いたらいいんです。

  

石原が講演会に来ると、テレビ普及以前の時代、ラジオメディアからの情報を頼りにした若い女性ファンが殺到したという。

石原は、アイドル的な人気者となった。

ここに、現在の芥川賞のイメージが形成された。

 

石原ブームに沸き始めたなかで、壽屋(現・サントリー)のコピーライターとして活躍していた開高健(1957年・受賞時27歳)が、東京大学在学中に“学生作家”としてすでに話題をさらっていた大江健三郎(1958年・受賞時23歳)が、それぞれ芥川賞を受賞する。

 

石原・開高・大江は、この時期、『中央公論』の編集者・青柳正美と文芸評論家・江藤淳の呼びかけで、「若い日本の会」と名乗った活動をともに行う(1958)。

自民党の政策・警察官職務執行法の強大化を図る改正案への反対がきっかけだった。

他のメンバーは、浅利慶太(劇作)・谷川俊太郎(詩)・黛敏郎(作曲)ら、当時20代の若者であり、“若さ”による現在の芥川賞のイメージが、さらに増幅されていくことになった。

 

この時期、石原映画と同じく、開高健原作の大映映画『巨人と玩具』(1958/監督・増村保造)、大江健三郎原作の日活映画『われらの時代』(1959/監督・藏原惟繕)も制作されている。

 

 

*原典:

私家版『文芸メディア発展史~文芸家/写真家/編集者の追いかけっこ~』(2016年9月発行)

*主な参考資料:

『芥川賞・直木賞150回全記録』(2014/文藝春秋

 植田康夫『本は世につれ ベストセラーはこうして生まれた』(2009/水曜社)

志村有弘『石原慎太郎を知りたい 石原慎太郎事典』(2001/勉誠出版

石原慎太郎『歴史の十字路に立って』(2005/PHP研究所

水の江瀧子 阿部和江『みんな裕ちゃんが好きだった ターキーと裕次郎と監督たち』(1992/文園社)

廣澤榮『私の昭和映画史』(1989/岩波新書

岡本喜八『しどろもどろ 映画監督岡本喜八対談集』(2012/筑摩書房

 

 

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筆者執筆参加。文芸家26名のポートレイトを収めた写真冊子『著者近影』(松蔭浩之撮影・デザイン/男木島図書館2016年4月発行)は、MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店(渋谷)、タコシェ(中野)、NADiff a/p/a/r/t(恵比寿)の店頭などにて、現在手にとって頂けます。

収録文芸家:
青山七恵/池井戸潤/池澤夏樹/冲方丁/大野更紗/金原ひとみ/京極夏彦/窪美澄/沢木耕太郎/篠田節子/高橋源一郎/滝口悠生/谷川俊太郎/俵万智/辻村深月/堂場瞬一/早見和真/平野啓一郎/穂村弘/三浦しをん/道尾秀介/本谷有希子/森村誠一/山田詠美/吉田修一/吉本ばなな