有名人ポートレイトへの写真家の不満

<第2章 顔をさらすから身をさらすへ>

---4 ポートレイトは、広告写真か? 芸術写真か?

②―――著名芸能人を撮らえた写真家・高梨豊の「オツカレサマ」

 

写真家・高梨豊は、山岸章二編集時代の『カメラ毎日』(毎日新聞社)から、著名人の撮影の依頼を受ける。

 

高梨は、日本大学芸術学部・写真学科~桑沢デザイン研究所で学んだのち、日本デザインセンターに所属し、広告写真の撮影を生業としていた。

 

『カメラ毎日』からの依頼は、高梨にとって初めての人物写真となった。

 

高梨は、坂本九渥美清青島幸男(当時放送作家・のちに直木三十五賞受賞者)、ザ・ピーナッツ長谷川一夫など全12組、舞台・映画・テレビで当時人気を博していた芸能人を写真スタジオに招き、モノクロ写真で撮らえた(1963)。

1年間にわたって『カメラ毎日』に掲載されたこれらの写真は、「オツカレサマ」と題された。

時は東京オリンピックを翌年に控え、高度経済成長に日本中が沸く、右肩上がりの時代だった。

 

実現はしなかったが、美空ひばりの撮影案から、当時、高梨がこの撮影で何を考えていたかが伺える。

 

私が人物写真を撮りはじめることになった「オツカレサマ」では、ムヅカシイお写真のようでと断わられた。

母上と二人投げテープでぐるぐる巻きにして双児のように写そうと思っていた私のプランを見抜かれたようで、その慧眼に感服した。

 

「オツカレサマ」で高梨は、翌年、日本写真批評家協会新人賞を受賞する(審査員は桑原甲子雄ら)。

29歳の年だった。

 

けれども、高梨にとって「オツカレサマ」が評価されることは不満だったという。

「「良い写真」なんていうものはない」と考える山岸の戦略に対する回答とも受け取れる言葉を残している。

 

あんなもので賞をもらって腹立ったんですよね。

だから自分はこんなんでないというのを見せたいという気持ちがあってはじめたんです。

 

そこで高梨は、『カメラ毎日』に直談判し、「東京人」を始める。

東京の街で暮らす匿名の人たちを、中心を据えず、モノクロ写真で群像的に撮らえたシリーズだった。

 

その後の高梨は、写真家・中平卓馬らと、“思想のための挑発的資料”を掲げた写真同人誌『provoke』を創刊(1968/全3号)。

反広告的な流れへと向かい、やがてフリーに(1970)。

時間は飛ぶが、美術家・赤瀬川原平とともに「ライカ同盟」も結成した(1992)。

 

「オツカレサマ」の写真は、高梨の写真集『面目躍如』(1990/平凡社)に収録されたのち、東京国立近代美術館で開催された「高梨豊 光のフィールドノート」展の際(2009)、東京国立近代美術館所蔵に寄贈。

美術館入りした。

 

 

*原典:

私家版『文芸メディア発展史~文芸家/写真家/編集者の追いかけっこ~』(2016年9月発行)

*主な参考資料:

高梨豊『面目躍如 人物写真クロニクル 1964~1989』(1990/平凡社

大竹昭子『眼の狩人 戦後写真家たちが描いた軌跡』(1994/新潮社)

西井一夫『写真編集者 山岸章二へのオマージュ』(2002/窓社)

 

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筆者執筆参加。文芸家26名のポートレイトを収めた写真冊子『著者近影』(松蔭浩之撮影・デザイン/男木島図書館2016年4月発行)は、MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店(渋谷)、タコシェ(中野)、NADiff a/p/a/r/t(恵比寿)の店頭などにて、現在手にとって頂けます。

収録文芸家:
青山七恵/池井戸潤/池澤夏樹/冲方丁/大野更紗/金原ひとみ/京極夏彦/窪美澄/沢木耕太郎/篠田節子/高橋源一郎/滝口悠生/谷川俊太郎/俵万智/辻村深月/堂場瞬一/早見和真/平野啓一郎/穂村弘/三浦しをん/道尾秀介/本谷有希子/森村誠一/山田詠美/吉田修一/吉本ばなな