高騰続ける1冊の文芸家の写真集

<第2章 顔をさらすから身をさらすへ>

---4 ポートレイトは、広告写真か? 芸術写真か?

③―――三島由紀夫をオブジェにした写真家・細江英公薔薇刑

 

1961年、一人の人気文芸家が、オブジェとなった。

三島由紀夫になる。

 

三島は、フリーの写真家・細江英公の写真集『おとこと女』(1961/カメラアート社)に収められた舞踏家・土方巽をみて、評論集『美の襲撃』(1961/講談社)用の口絵写真を1枚、細江に依頼する。

そもそも『おとこと女』は、三島の小説『禁色』(第1部・1951 第2部・1953/新潮社)を土方が舞踏にしたものを細江が見たことがきっかけで撮り始めたものだった。

すべては三島がきっかけだった。

 

三島の依頼に、細江は、裸の三島を寝かせ、ゴムホースでぐるぐる巻きにし、寝転んだ三島を頭から撮影して応えた(このときゴムホースの助手を若き森山大道が行っている)。

 

そんな姿にされても三島は嫌な顔をせず、写真の出来栄えを気に入り、三島の発案で一冊の写真集にまで発展していくことになる。

写真集が発行される途中で、銀座にある百貨店・松屋で開かれた展覧会にも出品されている。

三島はそのときのことをこう述べている。

 

氏が、展覧会に出す連作を撮らしてくれ、というので、私は、それが明らかに商業的なものでない、氏の本当の仕事にしようとしていることを確かめて、快諾した。

 

制作にあたり、細江が考えたことは次のようなものだった。

 

これはやはり三島さんの今までのイメージ、作家・三島由紀夫ではなく、ダンサー・三島由紀夫のようなものをイメージしようと思いました。

(引用者中略)私だけの考えで撮るところの、写真の写実性というような描写の力をふんだんに使った、一瞬が永遠につながる、そういう三島由紀夫像を作ろう。

そして、これは私の責任で作るものだから、三島さんが喜ばなくっても、もう仕方が無いな、と思ったのです。

 

こうした考えのもと、三島の裸体をもちい、さまざまなオブジェと合成するなど、細江は幻想的なモノクロ写真に仕上げた。

 

最初の撮影を始めてから2年後、『薔薇刑』と名づけられた写真集となった(1963)。

発行は、当時、文芸とは遠かった集英社が行っている。

細江は、この作品で、日本写真批評家協会作家賞を受賞した。

細江30歳の年になる。

 

東京写真短期大学(現・東京工芸大学)卒業以後、フリーランスの写真家として常に活動してきた細江は、広告写真について、次のように述べている。

細江の写真論でもある。

 

広告写真というのは、技術的に相当高いものがあります。

写真家としては広告写真の技術的側面に非常に感心しました。

しかしここでも言えることは、美しいものや楽しそうなものを見れば「きれいだな、すごいな」とは思いますが、やはり「感心」はしても「感動」はしないわけです。

(引用者中略)一言でいえば、私は「感心する写真」ではなくて「感動する写真」を選んだといえるかもしれません。

 

薔薇刑』は、刊行以来、三島の陸上自衛隊で演説後の割腹自殺(1970)も影響し、海外でも話題となっており、これまで数度復刻されている。

復刻にあたり、デザインは、杉浦康平から、横尾忠則粟津潔と変更されている。

現在もその古書は市場のなかで、値段を上げ続けている。

 

 

*原典:

私家版『文芸メディア発展史~文芸家/写真家/編集者の追いかけっこ~』(2016年9月発行)

*主な参考資料:

日本記号学『写真、その語りにくさを超えて』(2008/慶応義塾大学出版会)

三島由紀夫「『薔薇刑』体験記」『私の遍歴時代』(1964/講談社

細江英公『薔薇刑』(1963/集英社

細江英公『ざっくばらんに話そう 私の写真観』(2005/窓社)

 

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筆者執筆参加。文芸家26名のポートレイトを収めた写真冊子『著者近影』(松蔭浩之撮影・デザイン/男木島図書館2016年4月発行)は、MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店(渋谷)、タコシェ(中野)、NADiff a/p/a/r/t(恵比寿)の店頭などにて、現在手にとって頂けます。

収録文芸家:
青山七恵/池井戸潤/池澤夏樹/冲方丁/大野更紗/金原ひとみ/京極夏彦/窪美澄/沢木耕太郎/篠田節子/高橋源一郎/滝口悠生/谷川俊太郎/俵万智/辻村深月/堂場瞬一/早見和真/平野啓一郎/穂村弘/三浦しをん/道尾秀介/本谷有希子/森村誠一/山田詠美/吉田修一/吉本ばなな