戦後の"マルチ"メディアブームが写真家をキャラ化する
<第3章 メディア化する写真家と非文壇の形成>
---1 表舞台に立つ写真家続々と―――キャラ化・私化
④―――小説・俳優の依頼を受けた写真家・加納典明
もちろん、『カメラ毎日』(毎日新聞社)以外の雑誌メディアからも写真家は登場する。
その一人に加納典明がいる。
名古屋で育った加納は、高校卒業後、商業写真家・小川藤一の元でカメラを学ぶ。
その後、東京に出て、『CAMERA』(アルス)で土門拳が審査を務める月例賞の常連だった写真家・杵島隆のスタジオで働く。
そして21歳のとき、フリーとなる。
転機となったのは、『平凡パンチ』(1964年創刊)の編集者・西木正明(のち直木三十五賞受賞者)との出会いだった。
この時期、平凡出版は、東宝と映画『パンチ野郎』(1966/監督・岩内克己)を製作(藤本真澄)し、主役を若手カメラマン(黒沢年雄)にするなどカメラマンを若者の憧れの職業に仕立てている。
誌面でヌード撮影を担当した加納は、誌面企画で編集者・石川次郎と渡米する。
このとき現地で撮影した写真を元にした個展『FUCK』(大日本印刷DICビル画廊・東京)でその名が知られることとなった(1969)。
ニューヨークで撮影したさまざまな性描写を撮らえた展示写真は、警察からクレームを受ける内容だった。
この個展には、『カメラ毎日』の編集者・山岸章二も顔を出し、誌面で取り上げている。
その後、日本テレビ系の深夜のワイドショー『11PM』への出演(1970)も行った加納は、創刊されたばかりの文芸雑誌『海』(1969年創刊/中央公論社)の編集長・吉田好男から小説の依頼を受ける。
当時のことを加納はこう記している。
今は無き中央公論社の純文学月刊誌「海」の編集長 吉田好男が、映像を仕事にしている人間に小説を書かしてみようと云う考えが有ったらしく、後に私がナジャ(*引用者注:新宿のバー)で酔っぱらっている最中に小説を書いてみないかと言われ、どんな話しが欲しいのと聞くと、梶山季之や川上宗薫的な物という、酔っぱらってる私は、ああ ヤリ話しね、いいよと答えていた。
海誌・目次に寄ると、新鋭カメラマンの第一作、文字で現像したポルノの奧に潜む華麗なる空しさ「オ××コ」を書く事になる。
加納の小説は、新宿を特集した臨時増刊号に掲載された(1971)。
掲載された小説は、400字詰め原稿用紙50枚程度で行間も字間もなく、それが賛否を呼んだという。
その後、加納は、清水邦夫(蜷川幸雄演劇を中心とした戯曲家)と田原総一郎(東京12チャンネル(現・テレビ東京)のテレビディレクター*当時)の依頼を受け、映画『あらかじめ失われた恋人たちよ』(配給ATG)に、準主役として出演(1971)。
学生運動の闘士・秋田明大(日本大学全学共闘会議の議長)に依頼するも、断られた役だった。
*原典:
私家版『文芸メディア発展史~文芸家/写真家/編集者の追いかけっこ~』(2016年9月発行)
*主な参考資料:
筆者執筆参加。文芸家26名のポートレイトを収めた写真冊子『著者近影』(松蔭浩之撮影・デザイン/男木島図書館2016年4月発行)は、MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店(渋谷)、タコシェ(中野)、NADiff a/p/a/r/t(恵比寿)の店頭などにて、現在手にとって頂けます。
収録文芸家:
青山七恵/池井戸潤/池澤夏樹/冲方丁/大野更紗/金原ひとみ/京極夏彦/窪美澄/沢木耕太郎/篠田節子/高橋源一郎/滝口悠生/谷川俊太郎/俵万智/辻村深月/堂場瞬一/早見和真/平野啓一郎/穂村弘/三浦しをん/道尾秀介/本谷有希子/森村誠一/山田詠美/吉田修一/吉本ばなな