文学から遠ざかる

<第3章 メディア化する写真家と非文壇の形成>

---2 非文壇の形成―――ラジオ、テレビ、週刊誌、都市

③―――歌人・詩人・放送作家・戯曲家・評論家  寺山修司

 

野坂昭如と同じく戦後のニューメディアを活動の拠点としたのが、寺山修司になる。

 

寺山は、青森県に生まれる。

出稼ぎの母と遠く離れ、親類の家で暮らす中学生のとき、友人の影響で俳句にのめり込む。

早稲田大学入学とともに上京し、今度は、短歌にのめり込んだ。

病のため、大学生活がままならないなかで、当時、短歌雑誌『短歌』(角川書店)の編集長を務めていた中井英夫(『虚無への供物』)によって見出され、第1作品集『われに五月を』(作品社)を刊行。

続けて『はだしの恋唄』『空には本』(ともに的場書房)を刊行した(1957-1958)。

 

その後は、友人・谷川俊太郎のすすめで、ラジオドラマを手がける(ラジオ九州)。

谷川は、寺山が在学中に組織した詩劇グループ・ガラスの髭の舞台を見て感動し、交流を持った。

寺山は、最初のラジオ作品が民放祭・大賞を受賞した。

 

文壇との交わりは、24歳のときになる。

文學界』に発表した戯曲「血は立ったまま眠っている」と小説「人間実験室」になる(1960)。

「血は立ったまま眠っている」は、安保闘争を背景にテロリストを夢見る若き男二人を描いた。

劇団四季の舞台のための戯曲であり、掲載された同月、上演された。

 

野坂はニューメディアから登場したのち、中央公論社文藝春秋とのつながりを深めていくが、寺山の場合はすぐさま文壇から遠ざかっていく。

「血は立ったまま眠っている」について寺山は、「要するにこの戯曲ははじめから「文学」をめざしており、そのことが決定的な弱点となっている」と述べた。

 

以後は、松竹時代の篠田正浩監督作品の脚本や、文学座といった“5社協定”の外側にある劇団の戯曲、実験映画の監督も手がける。この頃、石原・大江・開高らが2年前に結成していた「若い日本の会」に最年少メンバーとして参加(1960)。

また、テレビドラマの脚本、ボクシング評論、競馬評論を始めている。

 

寺山は、やがて、若者に向けた発言を積極的に行っていく。

大学での講演や学生向けの新聞に書いていた「家出のすすめ」をまとめたエッセイ集『現代の青春論 家族たち・けだものたち』(三一書房/1963)がその最初となった。

続いて、少女向けの詩集レーベル「フォアレディース」(新書館)から、宇野亜喜良(日本デザインセンター出身)の挿絵による詩集を出した(1965)。

 

同時に、1964年から66年にかけて手がけた、ラジオドラマ、テレビドラマは多数の賞を受賞している。

ラジオドラマでは、『山姥』(NHK)がイタリア賞グランプリ賞受賞、『大礼服』(中部日本放送)が芸術祭奨励賞受賞、『犬神の女』(NHK)が第1回久保田万太郎賞受賞、『コメット・イケヤ』(NHK)がイタリア賞グランプリ賞受賞。

テレビでは、インタビュー『あなたは…』(TBS)が芸術祭奨励賞受賞、『子守唄由来』(RKB毎日放送)が芸術祭奨励賞受賞などになる。

 

寺山は、この時期、戦後さらに普及したラジオ、戦後生まれのテレビを主な拠点とした。

 

 

*原典:

私家版『文芸メディア発展史~文芸家/写真家/編集者の追いかけっこ~』(2016年9月発行)

*主な参考資料:

寺山修司『戯曲 毛皮のマリー 血は立ったまま眠っている』(2009/角川文庫)

長尾三郎『虚構地獄 寺山修司』(1997/講談社

九條今日子『回想・寺山修司 百年たったら帰っておいで』(2005/デーリー東北)

久世光彦/九條今日子/宗田安正 責任編集『寺山修司 齋藤槇爾の世界 永遠のアドレッセンス』(1998/柏書房)

荒木経惟『天才になる!』(1997/講談社現代新書

 

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筆者執筆参加。文芸家26名のポートレイトを収めた写真冊子『著者近影』(松蔭浩之撮影・デザイン/男木島図書館2016年4月発行)は、MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店(渋谷)、タコシェ(中野)、NADiff a/p/a/r/t(恵比寿)の店頭などにて、現在手にとって頂けます。

収録文芸家:
青山七恵/池井戸潤/池澤夏樹/冲方丁/大野更紗/金原ひとみ/京極夏彦/窪美澄/沢木耕太郎/篠田節子/高橋源一郎/滝口悠生/谷川俊太郎/俵万智/辻村深月/堂場瞬一/早見和真/平野啓一郎/穂村弘/三浦しをん/道尾秀介/本谷有希子/森村誠一/山田詠美/吉田修一/吉本ばなな