文学からの接近
<第3章 メディア化する写真家と非文壇の形成>
---2 非文壇の形成―――ラジオ、テレビ、週刊誌、都市
⑤―――頭を下げる三島由紀夫
天井桟敷の活動は、大物文芸家との関わりも生むこととなった。
主演・丸山(美輪)明宏のために制作した、旗揚げ公演『青森県のせむし男』と第3回公演『毛皮のマリー』(ともに1967)を見た三島由紀夫は、自身の舞台の主演に丸山を指名する。
江戸川乱歩の小説を戯曲化した舞台『黒蜥蜴』の再演だった(1968/松竹と東急提携)。
このとき、三島は電話で、寺山に丸山を借りたいと頭を下げている。
また、天井桟敷の初期の活動拠点となったアートシアター新宿文化では、寺山の活動をきっかけに新たな小劇場「アンダーグラウンド蠍座」が作られることになった。
このとき、命名を三島由紀夫が行っている(1967)。
寺山は、三島との対談で、三島が以前に赤軍派が唱えた東京戦争が有言実行されなかったことにふれ、次のように述べている。
寺山 しかし、政治的言語と文学的言語の波打際をなくしていくという、わけのわからない乱世の中におもしろ味があるわけですよ。
三島 でも、それをおもしろがっちゃいけないんじゃないのかね。それでは文学もダメになると思うんだよ。
寺山 両方ダメになってもいいんじゃないかっていう感じもあるんですよ(笑い)。
三島と対談を行った年、寺山は、「あしたのジョー」のアニメ版の主題歌の作詞も行った(1970)。
高森朝雄(梶原一騎の変名)原作・ちばてつや作画の漫画「あしたのジョー」は、少年漫画雑誌『週刊少年マガジン』(講談社/1959年創刊)で連載され(1968-73)、大人気となっていた。
漫画が嫌いだったというが、寺山は、ボクシング漫画であったことで特別に関心持ったという。
主人公・矢吹丈のライバル・力石徹が漫画のなかで亡くなった際、東京キッドブラザースで活動していた東の呼びかけに応え、寺山は葬儀委員長を務め、葬儀を出した(講談社講堂/1970)。ここでも書を飛び出した。
実際、寺山は何を考えていたのか?
元夫人・九條映子(現・今日子)が明かしている。
寺山は、新聞、雑誌などに掲載された自身の記事を集めており、「三島由紀夫よりも谷川俊太郎よりも今月は多い」などいいながら、どのようにすればメディアに取り上げられるかを常に計算していたという。
テレビ、ラジオ、週刊誌など、ニューメディア誕生ラッシュ以後のありようだろう。
*原典:
私家版『文芸メディア発展史~文芸家/写真家/編集者の追いかけっこ~』(2016年9月発行)
*主な参考資料:
寺山修司『戯曲 毛皮のマリー 血は立ったまま眠っている』(2009/角川文庫)
長尾三郎『虚構地獄 寺山修司』(1997/講談社)
九條今日子『回想・寺山修司 百年たったら帰っておいで』(2005/デーリー東北)
久世光彦/九條今日子/宗田安正 責任編集『寺山修司 齋藤槇爾の世界 永遠のアドレッセンス』(1998/柏書房)
筆者執筆参加。文芸家26名のポートレイトを収めた写真冊子『著者近影』(松蔭浩之撮影・デザイン/男木島図書館2016年4月発行)は、MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店(渋谷)、タコシェ(中野)、NADiff a/p/a/r/t(恵比寿)の店頭などにて、現在手にとって頂けます。
収録文芸家:
青山七恵/池井戸潤/池澤夏樹/冲方丁/大野更紗/金原ひとみ/京極夏彦/窪美澄/沢木耕太郎/篠田節子/高橋源一郎/滝口悠生/谷川俊太郎/俵万智/辻村深月/堂場瞬一/早見和真/平野啓一郎/穂村弘/三浦しをん/道尾秀介/本谷有希子/森村誠一/山田詠美/吉田修一/吉本ばなな