写真を切り刻み縫い合わせる
<第3章 メディア化する写真家と非文壇の形成>
---2 非文壇の形成―――ラジオ、テレビ、週刊誌、都市
⑥―――写真屋・寺山修司 荒木経惟の弟子に しかし写真を切り刻む
歌人から戯曲家へと活動が広がっていくなかで、寺山に写真家とのつながりも生まれていく。
その結果、写真からフィルムの撮影監督へと拡張する写真家も生まれた。
寺山の実験映画では、『檻囚』(モノクロ調色11分/1962)では立木義浩が(*出演も)、『トマトケチャップ皇帝』(モノクロ調色27分/1971)『ジャンケン戦争』(モノクロ調色12分/1971)では沢渡朔が、撮影監督を務めた。
左翼系の月刊誌『現代の眼』(現代評論社)に寺山が連載した、ボクサーとそのライバルとの若者二人の新宿で生きる姿を描いた長編小説「あゝ、荒野」の編集担当の中平卓馬は、写真家に転身する。
連載元より単行本化された際(1966)、表紙の写真を森山大道が手がけた。
その後、寺山が雑誌『俳句』(角川書店)のエッセイに添える写真を森山に依頼し(森山が『カメラ毎日』の編集者・山岸章二に持ち込む写真ともなる)、やがて森山最初の写真集『にっぽん劇場写真帖』(1968/室町書房)となった。
このとき、寺山が散文詩を寄せた。
評論集『書を捨てよ、町へ出よう』で写真を手がけた吉岡康弘は、それ以前に、勅使河原宏、小林正樹、大島渚などの映画監督の作品でスチール写真を担当。
映画版『書を捨てよ、町へ出よう』では、天井桟敷の芝居がアメリカ人キャストによってニューヨークで上演された際、現地での出会いをきっかけに、写真家・鋤田正義が撮影監督を務めている。
写真・漫画・デザインによって書物を舞台化した著作『ガリガリ博士の犯罪画帖』(新書館)では、篠山紀信が撮影を手がけている(1970)。
多くの写真家と共同作業を行ってきた寺山は、読売新聞社から写真集の出版の依頼を受ける。
内容以前にまずは、『寺山修司幻想写真館 犬神家の人々』とタイトルを付けた。
このとき、技術を覚えるために寺山は、荒木経惟に弟子入りする(1973)。
荒木が私家版の写真集『水着のヤングレディたち』を寺山に送って以来交流が生まれており、寺山は、写真集に載っていた水着の女性たちの電話番号に電話をかけたともいう。
けれども、弟子入りといっても、荒木の元で、寺山は機材を持つなどの作業は後回しに、荒木がモデルの撮影を始めると、自分のカメラでモデルの撮影を始める始末だったという。
さらに、古い写真を撮影し、切り刻んだのち、縫合し、再撮影。
また、モノクロ写真を撮影し、人工彩色したのち、切手を貼り、消印を押す。
一筆を添え、日干しにし、時代を限定されない「にせ絵葉書」も作成した。
寺山は、写真の記録性・加工性に惹かれ、写真家ではなく、「幼少時より、写真屋に憧れていた」と述べた。
『寺山修司幻想写真館 犬神家の人々』は、寺山初の写真展として、ギャルリーワタリ(現・ワタリウム美術館)で開催されたのち(1974)、写真集(読売新聞社)として刊行された(1975)。
*原典:
私家版『文芸メディア発展史~文芸家/写真家/編集者の追いかけっこ~』(2016年9月発行)
*主な参考資料:
寺山修司『戯曲 毛皮のマリー 血は立ったまま眠っている』(2009/角川文庫)
長尾三郎『虚構地獄 寺山修司』(1997/講談社)
九條今日子『回想・寺山修司 百年たったら帰っておいで』(2005/デーリー東北)
久世光彦/九條今日子/宗田安正 責任編集『寺山修司 齋藤槇爾の世界 永遠のアドレッセンス』(1998/柏書房)
筆者執筆参加。文芸家26名のポートレイトを収めた写真冊子『著者近影』(松蔭浩之撮影・デザイン/男木島図書館2016年4月発行)は、MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店(渋谷)、タコシェ(中野)、NADiff a/p/a/r/t(恵比寿)の店頭などにて、現在手にとって頂けます。
収録文芸家:
青山七恵/池井戸潤/池澤夏樹/冲方丁/大野更紗/金原ひとみ/京極夏彦/窪美澄/沢木耕太郎/篠田節子/高橋源一郎/滝口悠生/谷川俊太郎/俵万智/辻村深月/堂場瞬一/早見和真/平野啓一郎/穂村弘/三浦しをん/道尾秀介/本谷有希子/森村誠一/山田詠美/吉田修一/吉本ばなな