写真界の芥川龍之介賞 誕生
<第3章 メディア化する写真家と非文壇の形成>
---3 写真界の芥川賞と直木賞創設―――写真を選考する文芸家
写真家たちの自身のメディア化が顕著になった頃、また非文壇が形成され始めた頃、人名を冠した写真賞が創設される。
このとき、芥川賞のイメージがもちいられ、写真の文壇化が目指された。
1973年に起こったオイル・ショックによって景気は後退し、また用紙高騰も重なり、雑誌の売り上げも落ち始めていく時期にあたる。
1974年、写真家・木村伊兵衛が亡くなった。
72才だった。
毎年3月、写真月刊誌『アサヒカメラ』(1926年創刊/朝日新聞出版)で発表されるこの賞は、プロ・アマ、年齢を問わず、新人が対象であることから、“写真界の芥川賞”と称される。
『アサヒカメラ』の編集長が岡井耀毅に変わった第2回から、選考委員には、写真家(篠山紀信)、写真評論家(伊奈信男・渡辺勉・岡見璋)のなかに、芥川龍之介賞受賞者が加わる。
岡井は、芥川賞のイメージを利用し、賞そのものの注目を高めたいと考えていたと、のちに明かしている。
1回目は、この年誌面で始まった篠山紀信の対談コーナー“紀信快談”の最初のゲストでもあった五木寛之(直木三十五賞受賞)、2回目は安岡章太郎(芥川賞受賞)、3回目は大島渚(映画監督)、4回目は吉行淳之介(芥川賞受賞)、5回目は大江健三郎(芥川賞受賞)、6回目は井上ひさし(直木賞受賞)、7,8,9回目は安部公房(芥川賞受賞)と、9回目まで多くの芥川賞受賞者が審査員を務めている。
安岡、吉行、大江の3名は、芥川賞の選考委員を務めていた時期にもあたっており、木村伊兵衛写真賞を“写真界の芥川賞”のイメージを作っていくうえで大きく貢献した。
なかでも、一番長く選考委員を務めた安部は、自身でも写真を撮影し、新潮社からの書き下ろし『箱男』(1973)では、撮影した8枚の写真を小説のなかに挟み込んでいる。
安岡回では、平良孝七が出身地・沖縄を撮らえた『パイヌカジ』(自費出版)が受賞。吉行回では、石内都がアパートに生きる若者を中心に撮らえた『APARTMENT』(銀座ニコンサロン初出)が受賞。
大江回では、倉田精二が夜の銀座に生きる人々を生々しく撮らえた『ストリート・フォトランダム・東京75~79』(銀座ニコンサロン初出)が受賞。
安部回は、渡辺兼人が何も特別なものが写っていない町の様子を撮らえた『既視の町』(銀座ニコンサロン初出)が受賞。
翌年、同じく安部回は、北島敬三がニューヨークの都市に生きる人々を映し出した『ニューヨーク』(銀座ニコンサロン初出)が受賞となっている。
受賞作から、「若者、都市」といった木村伊兵衛写真賞のイメージが浮かび上がってくるかも知れない。
現在、我々が芥川賞をイメージさせる要素でもあろう。
*原典:
私家版『文芸メディア発展史~文芸家/写真家/編集者の追いかけっこ~』(2016年9月発行)
*主な参考資料:
岡井耀毅『肉声の昭和写真家 12人の巨匠が語る作品と現代』(2008/平凡社新書)
『アサヒカメラ』(1976~1983/朝日新聞出版)
岡井耀毅『昭和写真劇場』(2008/成甲書房)
筆者執筆参加。文芸家26名のポートレイトを収めた写真冊子『著者近影』(松蔭浩之撮影・デザイン/男木島図書館2016年4月発行)は、MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店(渋谷)、タコシェ(中野)、NADiff a/p/a/r/t(恵比寿)の店頭などにて、現在手にとって頂けます。
収録文芸家:
青山七恵/池井戸潤/池澤夏樹/冲方丁/大野更紗/金原ひとみ/京極夏彦/窪美澄/沢木耕太郎/篠田節子/高橋源一郎/滝口悠生/谷川俊太郎/俵万智/辻村深月/堂場瞬一/早見和真/平野啓一郎/穂村弘/三浦しをん/道尾秀介/本谷有希子/森村誠一/山田詠美/吉田修一/吉本ばなな