角川書店 登場
<第4章 映画時代の終焉/音楽産業の前景化>
---1 メディア間格差を狙え―――単行本と文庫、映画とテレビ
写真家のメディア化、非文壇の形成は、出版社のありようも変えて行く。
さらに、これまで親密な関係を築いてきた映画会社とのありようも変えて行くことになる。
①―――後発・角川書店の戦略 外国映画の原作本の翻訳から
角川源義は、『改造』に掲載された折口信夫の論文に触れ、國學院大學に進み、折口に師事した。
国文学者の道を目指すも、中学校で教職を得た。
戦後になって、出版の道へと進んだ。
角川書店は、元・岩波書店の編集者で歌人の佐藤佐太郎『歌集 歩道』から始まった(1946)。
戦後復興のなかで、角川源義は、先行する岩波文庫、新潮文庫に続いて、角川文庫を創刊する(1949)。
やがて、B6版から、現在主流となっているA6版に改装し、文庫ブームが起こったという(1950)。
同じ頃、全50巻『世界文学全集』(1950/河出書房*現・河出書房新社)に続いて、角川書店は、『昭和文学全集』(1952/全60巻)を刊行する。
講演会やサイン会を開催。
宣伝車や飛行機まで使った大宣伝を行ったという。
我々は改造社のPRを思い出すだろう。
結果、“円本”ブームの再来といえる全集ブームが起こる。
『現代世界文学全集』(新潮社)『現代日本文学全集』(筑摩書房)『世界少年少女文学全集』(創元社)『少年少女世界文学全集』(講談社)などが刊行された。
こうして角川書店は、文芸出版社の道を歩みだすが、しかし、実態は、辞書、教科書の販売が生業だったという。
そんな状況に、長男・春樹が変化をもたらしていく。
春樹は、早稲田大学に合格するも、父の命によって國學院大學で学んだのち、他社で修行期間を経て家業に就いた。
角川春樹は、『カラー版 世界の詩集』(1967/全20巻)に、文学座出身の岸田今日子らが朗読するソノシートをつけ、これがヒット。
その後、「活字・映像・音楽」のミックスに取り組む。
当時、アメリカ映画『卒業』(日本公開1968年)ではサイモン&ガーファンクルの音楽、アメリカ映画『ある愛の詩』(日本公開1971年)ではフランシス・レイの音楽が、それぞれ効果的にもちいられており、その相乗効果によって映画や出版物がヒットしていたことに気づいたためだった。
実際、国内では、映画『卒業』の主演ダスティ・ホフマンを撮らえた映画の一場面を表紙に使った同名の原作本(1970/早川書房)が売れていたという。
新興のCBS・ソニーの第1回LPとなったサントラ版もヒットしていた。
そこで、角川春樹は、外国映画の原作小説の翻訳本やノベライズを発行していく。
新刊をいちから出すより翻訳本はコストがかからない利点もあった。
映画『ある愛の詩』公開時には角川春樹自ら原作者を日本に招くキャンペーンを行ったが、映画会社の宣伝との相乗効果を利用できた。
映画と本をリンクさせた結果、ヒットへ繋がった。
映画『ある愛の詩』の原作本『ラブ・ストーリィ』(1970/角川書店)は、出版の翌年、ベストセラーの8位(出版指標年報)を記録する。
こうして生み出された角川書店の映画関連本は、一時は、紀伊国屋書店の文庫ベストセラーの10位までを独占したこともあったといい、角川キネマと揶揄されたほどだったという。
角川春樹の試みは、ここまでふれてきた出版社とは違い、出版社が映画会社を利用するかたちとなった。
*原典:
私家版『文芸メディア発展史~文芸家/写真家/編集者の追いかけっこ~』(2016年9月発行)
*主な参考資料:
角川春樹『わが闘争 不良青年は世界を目指す』(2005/イーストプレス)
筆者執筆参加。文芸家26名のポートレイトを収めた写真冊子『著者近影』(松蔭浩之撮影・デザイン/男木島図書館2016年4月発行)は、MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店(渋谷)、タコシェ(中野)、NADiff a/p/a/r/t(恵比寿)の店頭などにて、現在手にとって頂けます。
収録文芸家:
青山七恵/池井戸潤/池澤夏樹/冲方丁/大野更紗/金原ひとみ/京極夏彦/窪美澄/沢木耕太郎/篠田節子/高橋源一郎/滝口悠生/谷川俊太郎/俵万智/辻村深月/堂場瞬一/早見和真/平野啓一郎/穂村弘/三浦しをん/道尾秀介/本谷有希子/森村誠一/山田詠美/吉田修一/吉本ばなな