角川映画 誕生

<第4章 映画時代の終焉/音楽産業の前景化>

  ---1 メディア間格差を狙え―――単行本と文庫、映画とテレビ

③―――大手出版社を追い越すために  映画参入とテレビの連動

 

1975年、角川源義が亡くなり、長男・春樹が社長に就任する。

角川春樹は、横溝作品『八つ墓村』を、松竹とともに映画化に取り組む。

東映で一度映画化(1951)されていたが、この頃、松本清張原作の松竹映画『砂の器』(1974/監督・野村芳太郎)がヒットしていたからだったという。

砂の器』は光文社のカッパ・ノベルスになる。

 

八つ墓村』の映画化に合わせて、角川春樹は文庫のフェアを行おうとしたが、映画製作の遅れで、この計画は流れてしまう(松竹映画の公開は1977年。監督は野村芳太郎。音楽は芥川龍之介の三男・也寸志。金田一役は渥美清)。

そこで、角川春樹事務所を立ち上げる。

同じ横溝作品『犬神家の一族』(1950年*講談社『キング』初出)の映画化を、製作・角川春樹事務所、配給・東宝で行った(1976/監督は市川崑*金田一役は石坂浩二)。

当時、山崎豊子が『週刊新潮』で連載し、新潮社から単行本化されていた『華麗なる一族』(1973)が東宝で映画化されており(1974/監督・山本薩夫)、ヒットしていたことも選定の基準となったという。

ここで、我々は寺山修司の写真集『犬神家の人々』(1975)も思い出すだろう。

 

「活字・映像・音楽」にこだわった角川春樹は、音楽には、大野雄二(のちにアニメ『ルパン三世』のテーマを作曲)を起用し、中東が起源ともいわれるハンマー・ダルシマーを使った耳に残る主題曲を制作・販売(ビクター)。

テレビやラジオでの大量のCMを行う。

こうしたメディア攻勢は、当時の映画関係者は後発のテレビを嫌っていたが、そのテレビを積極的に活用しない手はないと感じていたからだという。

このあたりからようやく、神吉晴夫、寺山修司の影が消えていく。

映画公開と同時に“横溝正史フェア”として、全国縦断“角川文庫祭”も行っている。

 

角川春樹のテレビの活用は、CMだけでなく、テレビドラマとも連動させた。

犬神家の一族』『本陣殺人事件』など(1977)『八つ墓村』など(1978)を毎日放送系で2年にわたって展開していく(*金田一役は古谷一行)。

角川映画による横溝作品の2作目、東映配給『悪魔が来たりて笛を吹く』(1979/監督は鈴木英夫*金田一役は西田敏行)では、テレビCMに横溝本人も登場させた。1981年には、現在まで続く、横溝正史賞(現・横溝正史ミステリ大賞)も創設した。

その翌年には、すでに創刊していた映画雑誌『バラエティ』から発展させた、テレビ情報雑誌『ザテレビジョン』も創刊している。

さらに、文庫にはさむ、しおりを映画の割引券とすることで、宣伝と印刷代のコストを下げる一石二鳥の試みも行っている。

 

角川春樹は、こうした取り組みについて、当時の部下・見城徹(現・幻冬舎社長)にこう話したという。

 

新潮社や講談社小学館に追いつこうと思ってまともに勝負したら、五十年はかかる。だからこそ新しい本の売り方を考えることが重要なんだ。

 

 

*原典:

私家版『文芸メディア発展史~文芸家/写真家/編集者の追いかけっこ~』(2016年9月発行)

*主な参考資料:

角川春樹『わが闘争 不良青年は世界を目指す』(2005/イーストプレス

見城徹『編集者という病い』(2007/太田出版

見城徹『異端者の快楽』(2008/太田出版

 

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筆者執筆参加。文芸家26名のポートレイトを収めた写真冊子『著者近影』(松蔭浩之撮影・デザイン/男木島図書館2016年4月発行)は、MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店(渋谷)、タコシェ(中野)、NADiff a/p/a/r/t(恵比寿)の店頭などにて、現在手にとって頂けます。

収録文芸家:
青山七恵/池井戸潤/池澤夏樹/冲方丁/大野更紗/金原ひとみ/京極夏彦/窪美澄/沢木耕太郎/篠田節子/高橋源一郎/滝口悠生/谷川俊太郎/俵万智/辻村深月/堂場瞬一/早見和真/平野啓一郎/穂村弘/三浦しをん/道尾秀介/本谷有希子/森村誠一/山田詠美/吉田修一/吉本ばなな