写真家が文芸家を乗り越えた
<第4章 映画時代の終焉/音楽産業の前景化>
---2 1979 メディア間の交代劇
売上げの低迷していた写真雑誌の世界で木村伊兵衛写真賞が創設された頃、文芸雑誌では、ポートレイト企画のリバイバルが行われる。
そして、斜陽化の始まっていた映画産業には、角川春樹だけでなく、さらに新たな企業が参入していく。
1974年、小学館は、総合男性雑誌『GORO』を創刊する(1992年まで)。
翌年、篠山紀信は、“激写”シリーズを始めた。
当時のトップ・アイドル山口百恵が第1回の被写体となった。
以後、篠山は、同シリーズで、一般女性のセミヌードや著名なアイドルのきわどい写真を撮影し続けた。
掲載した写真をまとめた写真集『激写・135人の女ともだち』(1978/小学館)はベストセラーとなり、主要都市で展覧会が開催される。
“激写”は、商標登録もされた(1980)。
このヒットから、小学館では、『GORO』の編集者・島本脩二らが、篠山をメインにすえた写真雑誌『写楽』を創刊する(1980-85)。
篠山は、この時期、『明星』(集英社)の表紙も手がけており、集英社に続いて、その親会社だった小学館は、篠山の拠点となっていく。
『小説新潮』(新潮社)は、スター写真家となっていた篠山に、文芸家のポートレイトの連載を依頼する。
1979年からスタートとした「日本の作家」と題したシリーズになる。
ここで、木村伊兵衛、林忠彦、田村茂、土門拳、細江英公を思い起こそう。
彼らが文芸家のポートレイトを撮影したのは、写真家として著名になる以前のことだった。
1979年、このとき著名な写真家によって著名な文芸家が撮影される時代へとなった。
“激写”の延長線上に文芸家全般が置かれたともいえるかも知れない。
「日本の作家」シリーズの初年度に撮影された文芸家は次になる。
当時の時代が伺える。
1月号…井上靖、2月号…松本清張、3月号…有吉佐和子、4月号…池波正太郎、5月号…大岡昇平、6月号…石川達三、7月号…円地文子、8月号…吉行淳之介、9月号…新田次郎、10月号…曽野綾子、11月号…井上ひさし、12月号…井伏鱒二。
また、「日本の作家」では、ポートレイトにエッセイが添えられた。
こちらも初年度の担当者を見ておこう。
1月号…北杜夫、2月号…和田勉、3月号…虫明亜呂無、4月号…江國滋、5月号…丸谷才一、6月号…戸川幸夫、7月号…大庭みな子、8月号…長部日出雄、9月号…山田智彦、10月号…三好京三、11月号…宇野誠一郎、12月号…藤原審爾。
2年目、3年目に入ると、エッセイを担当した、藤原審爾、吉村昭、北杜夫らも被写体にもなっていき、文壇交遊録的装いを見せていく。
「作家の仕事場」のタイトルにこだわった篠山は、新潮社系以外の文芸家にも被写体を広げていった。
結果、「作家の仕事場」は、「往復書簡」「日本人の仕事場」というかたちへと発展していき、15年にわたり続いた。
篠山は、このシリーズを撮影するにあたり、次のように考えたという。
なぜか文士写真というのは、いつもモノクロなんですよ。
それも大型カメラで、きちんとライティングして精密描写。
つまりそれは必然的に、「写真家=偉大な芸術家」が撮った「文学者=偉大な芸術家」の肖像写真になる。
僕はまったく違った手法で取ることにしたんです。
カラー、小型カメラ、なるべく自然光、それに細密描写じゃなくて雰囲気描写。
これで決定的にこれまでの文士写真とは変わりましたね。
みんな作家をいかにも神の如く偉そうに撮ってるけど、そういうもんでもないだろう。
同じ人間なんだから生身の作家をよく見て撮ればいいんじゃないかと考えたわけです。
ここで、我々は、木村伊兵衛がライカを手に文芸家のポートレイトを撮影した際に述べた言葉を思い出すだろう。
篠山は、木村の言葉を、逆説的なかたちでリバイバルしている。
また、「雰囲気描写」と述べた篠山は、撮影にあたり、唯一の注文をつけた。
それは、「書斎を見せてほしい」というものだった。
すべての文芸家から了承を得られはしなかったが、書斎での執筆風景がカメラに収められた。
ここで,、我々は、林忠彦が写真屋の写真と報道的写真を重ね合わせた言葉も思い出すだろう。
実際、「日本の作家」シリーズは、およそ30年前、林忠彦撮影による『小説新潮』巻頭グラビア“文士シリーズ”の系譜にある。
篠山は、連載時、「土門拳、林忠彦、木村伊兵衛」のことが念頭あったと語り、その名指しの順に篠山がどのように文芸家の写真をイメージしていたか伺えるだろう。
つまり、先の引用は、土門拳への批判的な取り組みだった。
先行事例があるため、すぐには気乗りがしなかったという篠山だったが、新潮社出版部長・新田敞の「カラーで作家の写真を」という提案で、ようやく乗り出せたという。
篠山は、さらに続ける。
僕の撮り方は、写真家のスタイルを押しつけるじゃなくて、あくまで相手に喜んでいただけるように撮る。
(引用者中略)写真というのは相手がいて初めて写るんだし、それも機械が動いて撮るものですよ。
それを自己の主体性なんて言ってたら駄目です。
ここで、我々は、林忠彦へ土門拳が行った批判「いちいち雑誌に合わせることはない」を思い出すだろう。
やはり、篠山は、土門へ批判的だった。
では、篠山にできることは何なのだろうか?
荒木経惟との対談で篠山は次のように述べている。
僕は時代と伴走していたいという気分がある。
だから、その時代のカメラでとる。
そのひとつに、篠山が、“シノラマ”と呼んだものがある。
複数のカメラをセッティングし、同時に、ときに時間もずらして、撮影を行う方法も開発している(1983)。
「作家の仕事場」で撮影された写真は、1986年、同名で単行本化(新潮社)。
さらにその10年後、『定本・作家の仕事場』として発売された。
その際、134人を選び、掲載順は文芸家の生年月日順に再構成する。
そして新たに柳美里のポートレイトを撮り下ろし、福田和也のエッセイを加え、計135名とした。
自身の写真集『激写・135人の女ともだち』を意識した数だった。
やはり“激写”の延長線上だった。
*原典:
私家版『文芸メディア発展史~文芸家/写真家/編集者の追いかけっこ~』(2016年9月発行)
*主な参考資料:
篠山紀信『写真は戦争だ! 現場からの戦況報告』(1998/河出書房新社)
篠山紀信『定本・作家の仕事場 昭和から平成へ読み継がれる日本の作家一三五人の肖像』(1996/新潮社)
荒木経惟写真対談集『純写真から純文学へ』(2000/松柏社)
筆者執筆参加。文芸家26名のポートレイトを収めた写真冊子『著者近影』(松蔭浩之撮影・デザイン/男木島図書館2016年4月発行)は、MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店(渋谷)、タコシェ(中野)、NADiff a/p/a/r/t(恵比寿)の店頭などにて、現在手にとって頂けます。
収録文芸家:
青山七恵/池井戸潤/池澤夏樹/冲方丁/大野更紗/金原ひとみ/京極夏彦/窪美澄/沢木耕太郎/篠田節子/高橋源一郎/滝口悠生/谷川俊太郎/俵万智/辻村深月/堂場瞬一/早見和真/平野啓一郎/穂村弘/三浦しをん/道尾秀介/本谷有希子/森村誠一/山田詠美/吉田修一/吉本ばなな