村上龍 登場

<第4章 映画時代の終焉/音楽産業の前景化>

---2 1979 メディア間の交代劇

③―――キティ・フィルム初の映画監督  芥川賞受賞者・村上龍

 

キティ・フィルムが誕生しようとしていた頃、村上龍が「限りなく透明に近いブルー」(1976)で芥川龍之介賞を受賞する(受賞当時24歳)。

 

村上は、出身地・長崎県佐世保市で、ヒッピー文化をもろに受けた学生時代を過ごしたのち、上京後、美学校へ入学(半年で退学)。

その後は武蔵野美術大学で学ぶ(中退)。

学生時代の体験を基にした「限りなく透明に近いブルー」は、文芸雑誌『群像』(1946年創刊/講談社)に掲載され、群像新人文学賞を受賞。

同年、芥川賞の受賞となった。

装丁も自ら手がけた単行本(講談社)は、その年のベストセラーの1位(出版指標年報)となった。

 

村上は、芥川賞を受賞した頃、できたばかりのキティ・フィルムに関わり、映画のプロットの提案を行っていた。

けれども長谷川は乗ってこなかった。

そこで、痺れをきらした多賀が、村上の『限りなく透明に近いブルー』の映画化を決断した。

こうして、1979年、公開されたのが、『限りなく透明に近いブルー』(配給・東宝)だった。

芥川賞受賞者の華々しい映画監督デビューという計画ではなかった。

 

音楽事務所からスタートしたキティ・フィルムは、公開の同年、キティから、井上陽水小椋佳らの演奏を含むサウンドトラック盤を発売。

映画は、音楽映画的な装いともなった(キティ・フィルムの取り組みは、角川春樹事務所との共同製作の東宝配給映画『セーラー服と機関銃』(1982)のヒットで結実する)。

 

 

*原典:

私家版『文芸メディア発展史~文芸家/写真家/編集者の追いかけっこ~』(2016年9月発行)

*主な参考資料:

古東久人編集『相米慎二 映画の断章』(1989/芳賀書店

『ATG映画の全貌』(1979/夏書館)

 

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筆者執筆参加。文芸家26名のポートレイトを収めた写真冊子『著者近影』(松蔭浩之撮影・デザイン/男木島図書館2016年4月発行)は、MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店(渋谷)、タコシェ(中野)、NADiff a/p/a/r/t(恵比寿)の店頭などにて、現在手にとって頂けます。

収録文芸家:
青山七恵/池井戸潤/池澤夏樹/冲方丁/大野更紗/金原ひとみ/京極夏彦/窪美澄/沢木耕太郎/篠田節子/高橋源一郎/滝口悠生/谷川俊太郎/俵万智/辻村深月/堂場瞬一/早見和真/平野啓一郎/穂村弘/三浦しをん/道尾秀介/本谷有希子/森村誠一/山田詠美/吉田修一/吉本ばなな