集英社発 小説+漫画
<第5章 そして作家が消えた>
---1 ポートレイトも消えた―――覆面作家続々と
①―――集英社発の少年漫画誌『週刊少年ジャンプ』から文芸へ「小説+漫画」
1991年、『ジャンプノベル』が創刊される。
春と夏、年3回の発行で、『週刊少年ジャンプ』の特別編集増刊だった。
このとき、ジャンプ小説・ノンフィクション大賞が創設された。
力点は、ノンフィクションにあった。
この年、本家『週刊少年ジャンプ』は、『週刊少年マガジン』(講談社)『週刊少年サンデー』(小学館)『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)の週刊少年漫画誌を突き放し、発行部数が600万部を超える。
連載は、「ドラゴンボール」(鳥山明)「シティーハンター」(北条司)「ジョジョの奇妙な冒険」(荒木飛呂彦)「ろくでなしBLUES」(森田まさのり)「まじかる☆タルるートくん」(江川達也)「電影少女」(桂正和)「SLAM DUNK」(井上雄彦)などの人気作が飾っている。
それでも、なぜ、小説だったのか?
すでに『月刊カドカワ』でもふれたが、表方の異ジャンルから文芸の世界へと入ってくる動きは、集英社でもあった。
ロックバンドのECHOES(CBS・ソニー)でデビューしていた辻仁成が、すばる文学賞(主催・集英社)を受賞(1989)。
続いて、戯曲家で演出家・唐十郎の息子で、日本大学・芸術学部在学中に映画俳優として本格的にデビューしていた、俳優・大鶴義丹が、同じくすばる文学賞を受賞している(1990)。
また、少し先行して、文芸雑誌『すばる』(1970年創刊)に対してエンターテインメント寄りの文芸雑誌『小説すばる』を創刊(1987)。
(新潮社では、三島由紀夫賞と山本周五郎賞が同時に創設された(1987))
“小説”は、相対的に地位が低下し、再確認の時期にあった。
「ジャンプ」の方でも、鳥山明「Dr.スランプ」(1980-84)「ドラゴンボール」(1984年連載開始)の大ヒットにより、編集部の鳥嶋和彦の元で、テレビアニメ化、テレビゲーム(鳥山明がキャラクターデザインを担当。シナリオをゲームライターの堀井雄二が手がけた『ドラゴンクエスト』)などの複合的な展開が形作られていた。
“集英社”をイメージすべく、人名を冠した主催賞を見ておこう。
手塚賞(1971年創設)、赤塚賞(1974年創設)、柴田錬三郎賞(1988年創設)、開高健ノンフィクション賞(2003年創設)、渡辺淳一文学賞(2015年創設)などになる。
こうした社風の元に、『ジャンプノベル』もある。
『ジャンプノベル』の創刊号を見よう。
表紙には、キャッチコピー「小説+漫画=未体験快感」と記された。
その誌面は、イラスト化されたアーノルド・シュワルツェネッガーが表紙。
ビートたけしと秋本治(代表作漫画「こちら葛飾区亀有公演前派出所」)の対談。
漫画「電影少女」「BASTARD!!」のノベライズ(富田祐弘、岸間信明のアニメーション脚本家が担当)。
小説からは、芥川龍之介賞受賞者・高橋三千綱の「卒業」、日本推理作家協会賞と吉川英治文学新人賞を『ジャンプノベル』創刊の年に受賞した大沢在昌の「黄龍の耳」、当時報道番組『ニューステーション』(テレビ朝日系列)の旅コーナーに出演し、人気となっていた立松和平の「一人の海」、スポーツ・ジャーナリスト山際淳司「ライオンの夏」の、それぞれ漫画化などだった(幡地英明、原哲夫、岸大武郎、今泉伸二・たけだつとむの漫画家が担当)。
誌面では、ジャンプ小説・ノンフィクション大賞も発表された。
審査員を、立松和平・高橋三千綱・栗本薫の小説家と、「ジャンプ」600万部の時期に立ち会った4代目編集長・後藤広喜が務めた(立松は第1回早稲田文学新人賞受賞。高橋・栗本は早稲田文学部)。
第1回は、大賞を、前野兆治(重雄)「川崎ドリーム 川崎球場に客が来た日」(受賞時38歳。イラスト・塩崎雅哉)と定金伸治「ジハード」(受賞時20歳。イラスト・山根和俊)の2作が受賞。
佳作を、村山由佳「もう一度デジャ・ヴ」(受賞時27歳。イラスト・志田正重)が受賞している。
掲載された「小説+漫画」は、創刊から2年後、ジャンプ ジェイブックスのシリーズ
として出版されていく。
岸間信明『BASTARD!!』(萩原一至)、大沢在昌『黄龍の耳』(原哲夫と鶴岡伸寿)、定金伸治『ジハード』(山根和俊)、山際淳司『北のオオカミ』(今泉伸二)。
外池省二『シティーハンター』(北条司)、高橋三千綱『卒業』(幡地英明)、鳴海丈『完真者真魁』(鶴田洋久)が2ヶ月連続で出た(()はイラスト担当者)。
しかし、本家「ジャンプ」が発行部数のピーク(1995)を終えた4年後、『ジャンプノベル』は、16号で廃刊した(1999)。
このブロックの最後に、講談社の話になるが、梶原一騎にまつわる言葉を引いておきたい。
梶原は、『週刊少年マガジン』(講談社)のヒット漫画の原作者になる。
「巨人の星」「柔道一直線」「あしたのジョー」「タイガーマスク」「キックの鬼」「空手バカ一代」「侍ジャイアンツ」「愛と誠」などがある。
当時の「マガジン」の編集長・牧野武朗は、梶原へ、当時地位の低かったという漫画仕事の依頼にあたり、こう伝えたという(1962)。
少年マンガも今や週単位の時代に突入しました。
この際、原作、原画と徹底した分業システムを取り入れたいと思うのです。
『ジャンプノベル』創刊のおよそ30年前のことだった。
*原典:
私家版『文芸メディア発展史~文芸家/写真家/編集者の追いかけっこ~』(2016年9月発行)
*主な参考資料:
西村繁男『さらば、わが青春の『少年ジャンプ』』(1998/幻冬舎)
筆者執筆参加。文芸家26名のポートレイトを収めた写真冊子『著者近影』(松蔭浩之撮影・デザイン/男木島図書館2016年4月発行)は、MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店(渋谷)、タコシェ(中野)、NADiff a/p/a/r/t(恵比寿)の店頭などにて、現在手にとって頂けます。
収録文芸家:
青山七恵/池井戸潤/池澤夏樹/冲方丁/大野更紗/金原ひとみ/京極夏彦/窪美澄/沢木耕太郎/篠田節子/高橋源一郎/滝口悠生/谷川俊太郎/俵万智/辻村深月/堂場瞬一/早見和真/平野啓一郎/穂村弘/三浦しをん/道尾秀介/本谷有希子/森村誠一/山田詠美/吉田修一/吉本ばなな