角川歴彦 登場
<第5章 そして作家が消えた>
---1 ポートレイトも消えた―――覆面作家続々と
③――読者参加型からゲーム小説/イラスト/ゲームデザイン/3賞同時創設へ
1994年、メディアワークス(現・KADOKAWAグループ)は、電撃ゲーム3大賞を創設する。
電撃ゲーム小説大賞・電撃イラスト大賞・電撃ゲームデザイン大賞になる。
第1回電撃ゲーム大賞の審査委員は、高千穂遙(アニメ作家、SF小説家)・林海象(映画監督)・矢野徹(SF作家)・角川歴彦(メディアワークス社長*現・KADOKAWA取締役会長、カドカワ取締役会長)が務めた。
電撃ゲーム大賞の大賞は、土門弘幸「五霊闘士オーキ伝 五霊闘士現臨!」が受賞する。
電撃イラスト大賞・電撃ゲームデザイン大賞は、ともに大賞受賞者はなかった。
賞の創設について、佐藤辰男(メディアワークス専務*現・カドカワ取締役相談役)は、「新しい才能を探さなくちゃいけない」と述べている。
主催のメディアワークスは、角川春樹の弟・歴彦率いる角川メディアオフィスから生まれた会社だった。
歴彦は、早稲田大学卒業後、角川書店に入社し、『ザテレビジョン』創刊(1983)によって、独自色を発揮していく。
新会社「メディアワークス」誕生の際(1992)、『電撃スーパーファミコン』(現・電撃Nintendo)、『電撃PCエンジン』(現・電撃G's magazine)、『月刊電撃コミックGAO!』(*休刊)、『電撃王』(*休刊)、『電撃メガドライブ』(*休刊)の5つの雑誌を創刊する。
その多くが、パソコンとゲームの雑誌『コンプティーク』(角川書店)から移ったメンバーが関わった。
歴彦の兄・春樹の長男社長就任に端を発し、歴彦は独立。
それに伴い、ゲーム雑誌『コンプティーク』のコーナーから発展した『マル勝ファミコン』、『マル勝PCエンジン』、コンプティーク別冊 コミックコンプティーク『月刊コミックコンプ』が、そのままスライドした。
こうした雑誌の元となった『コンプティーク』の実質の編集長が、「新しい才能を探さなくちゃいけない」と述べた佐藤だった。
賞の創設は、雑誌周知の新規事業としてだった。
“コンプティーク”は元々、アップルが開発した、世界初の量産型パーソナルコンピューター「Apple II」(1977)のソフトを、日本に紹介する目的で設立されていたゲーム会社になる。
「ブラウン管のまわりに雑誌のシーズ(種)がある!」と考えていた歴彦の考えから、そこに佐藤が加わり、雑誌がスタートした。
そのため、当時できたばかりの『ザテレビジョン』(角川書店)の別冊という、ブラウン管まわりの雑誌として創刊された(1983)。
創刊号の表紙ではパソコンを模した『コンプティーク』のキャラクターイラスト、Vol.3では『ザテレビジョン』(角川書店)の表紙撮影でおなじみのレモンよろしく、ジャイアント馬場が黄色の『コンプティーク』のキャラクターを手にしている。創刊当時は、(現在では考えられにくいが)パソコン雑誌にアイドルの表紙を使うことに異論もあったというが、以上の最初期をのぞき、人気女性アイドルが表紙となっていく。
角川書店全体とも連動しており、創刊号では角川映画化されていた『里見八犬伝』のパソコンソフトコンテストの開催を告知。
薬師丸ひろ子・原田知世・渡辺典子の角川3人娘を特集(1984)、矢野徹の原作で角川アニメ化した『カムイの剣』公開にあわせて作られたPC-88用ゲームの特集(1985)なども行われた。
創刊号には「パソコンと遊ぶ本」とキャッチコピーと書かれたが、月刊化にあたり、「闘うパソコンゲームマガジン」となった(1986年1月号。表紙・松本伊代)。
当時は、ベストセラー(出版指標年報)の1位『スーパーマリオブラザーズ 完全攻略本』(1985/徳間書店)9位『スーパーマリオブラザーズ 裏ワザ大全集』(1986/二見書房)。
翌年、ベストセラーの1位『スーパーマリオブラザーズ 完全攻略本』3位『スーパーマリオブラザーズ 裏ワザ大全集』9位『ツインビー完全攻略本』(1986/徳間書店)という時代だった。
『コンプティーク』でも、マリオブラザーズの登場以後、ファミリーコンピュータの特集を開始(1985年より)。
それがやがてファミコンに特化した雑誌『マル勝ファミコン』へと発展していく(1986)。
雑誌としての転機は、とあるゲーム大会で角川歴彦がアメリカのテーブルゲームRPG「ダンジョンズ&ドラゴンズ」(1974年制作)を見たことになる。
『コンプティーク』誌上では、“リプレイ”と呼ばれるボードゲームを実況中継化したTRPG版「ロードス島戦記」(1986年より連載)となった。
連載は、歴彦が依頼し、トレーディングカードの制作・販売を行っていた安田均とグループSNEが手がけた。
京都大学SF研究会出身の安田と清松みゆきの他、水野良、山本弘、友野詳らが所属していた。
連載にあたり、イラストは、編集部が探してきた出渕裕が担当する。
佐藤は、早稲田大学卒業後、就職したおもちゃの業界新聞の記者からの転身者で、カードゲームやボードゲームへの関心が高く、テレビゲーム誕生以前の素養があったことも後押しとなった。
TRPG版「ロードス島戦記」は、パーティーゲームでもあるボードゲームの楽しみを再現するために、ゲーム全体の進行役も登場させ、プレイヤーが実際発言しているような会話劇の方法で描かれた(のちに小説として書き換えられ、『野性時代』に連載されたのち、角川文庫から、原案・安田均、イラスト・出渕裕、著者・水野良として 出版された)。
こうした作り方は、雑誌全体にも及んでいく。
雑誌が用意した物語の初期設定に、読者が専用の葉書を使って投稿し、その内容に左右されて進んでいく“読者参加型”が発展する(「ロボクラッシュ」「トップをねらえ!」など)。
ここでは、読者が著者として主となり、小説家の役割は原作者となり、漫画家はイラストレーターとならざるを得ないかたちだった。
『コンプティーク』には、漫画も連載される。
連載第1弾となった「神聖記ヴァグランツ」(1986-88)は、ゲームライター集団“ヴォクソール・プロ”が原作を受け持ち、麻宮騎亜(アニメーターの菊池通隆の変名)が作画を行った。
その際、情報雑誌形態に漫画を掲載するため、漫画を雑誌の後ろから読む誌面作りを行っている。
正統派パソコン雑誌『ログイン』(アスキー*現・KADOKAWAグループ)に対抗するためだったというが、結果、「女性の裸・漫画・スキャンダル」は取り扱わない角川書店の理念を破ることになったという。
こうした背景にあるのが、“小説”という呼称だけではない、電撃ゲーム小説大賞・電撃イラスト大賞・電撃ゲームデザイン大賞の、冒頭でふれた3賞だった。
(その後、電撃ゲーム小説大賞は電撃小説大賞へ、ボードゲームやカードゲームが対象の電撃ゲームデザイン大賞は2回で終了したのち電撃コミック大賞へとなっている)
*原典:
私家版『文芸メディア発展史~文芸家/写真家/編集者の追いかけっこ~』(2016年9月発行)
*主な参考資料:
プロジェクトEEG「佐藤辰夫『コンプティーク編集長時代を語る』」(2008)
4Gamer.net「ゲームの周りに凄い才能が集まっていた――日本のコンテンツ業界を振り返る「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」第12回は,KADOKAWA代表取締役社長・佐藤辰男氏がゲスト」(2013)
大塚英志『キャラクター小説の作り方』(2003/講談社現代新書)
筆者執筆参加。文芸家26名のポートレイトを収めた写真冊子『著者近影』(松蔭浩之撮影・デザイン/男木島図書館2016年4月発行)は、MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店(渋谷)、タコシェ(中野)、NADiff a/p/a/r/t(恵比寿)の店頭などにて、現在手にとって頂けます。
収録文芸家:
青山七恵/池井戸潤/池澤夏樹/冲方丁/大野更紗/金原ひとみ/京極夏彦/窪美澄/沢木耕太郎/篠田節子/高橋源一郎/滝口悠生/谷川俊太郎/俵万智/辻村深月/堂場瞬一/早見和真/平野啓一郎/穂村弘/三浦しをん/道尾秀介/本谷有希子/森村誠一/山田詠美/吉田修一/吉本ばなな