名作の無料化 開始
<第5章 そして作家が消えた>
---2 出版社も消えた―――ネット場を巡って
①―――作者没後50年のライブラリー 青空文庫創刊 流通の流れを変えろ
1997年、インターネット上に青空文庫が開館した。
Windows 95をマイクロソフトが発売し、飛躍的にパソコンが普及していくことになった2年後になる。
この年、ネット上で、作者の死後50年を経過した著作権の切れた作品を、誰もが自由に読めることが可能になった。
富田倫生、野口英司、浜野智、八巻美恵、らんむろ・さてぃ、LUNA CATの6人が設立呼びかけ人となった(代表は立てられてはいない)。
富田は、青空文庫を始める年に出版した『本の未来』(アスキー)で、学生時代の友人の言葉を書いている。
一九七〇(昭和四十五)年を前後する我々の高校時代には、世界的な学生運動の熱がみなぎっていました。
時代の熱にあおられた友人の一人は、六〇年代が終わって騒動がばたばたと片づく中で、向かうべき場所を見つけようとしばらくのあいだもがき続けます。その彼が、パーソナルコンピューターに、心の拠り所を見つけました。
「コンピューターという強力な武器で、国家や大資本が独占する状況がこれで崩せる」
彼は久しぶりの晴れやかな表情で、そう語りました。
"パーソナルコンピューター”は、科学者アラン・ケイによって提唱された(1972)。
アップル社の共同設立者スティーブ・ジョブズ、マイクロソフト社の共同設立者ビル・ゲイツにも多大な影響を与えた。
富田自身の体験としては、早稲田大学卒業後、ジャーナリストとして書き下ろした自著『パソコン創世記』(1985/旺文社)が、廃刊・裁断となったことがある。
青空文庫は、絶版になってしまった本を、長く読んでもらえる方法の試みでもあった。
それは、出版社―取次―書店という流通の流れを変えることも意味していた。
すでに、70年代のアメリカに、<プロジェクト・グーテンベルグ>の先行事例があった。
イリノイ大学の学生だったマイケル・ハートが、著作権の切れた古典を、ボランティアの力を借りてデジタルテキスト化し、コンピューター・ネットワーク上で公開していた。
日本でも、岡島昭浩(現・大阪大学大学院・文学部教授)が、夏目漱石、森鴎外、芥川龍之介、中島敦など、著作権の切れた日本文学をネットワーク上に公開していた。
岡島の協力も仰いだ最初の青空文庫には、与謝野晶子『みだれ髪』の明治43年版(1901年、東京新詩社・伊藤文友館刊行)と昭和8年版、森鴎外「高瀬舟」(1906年『中央公論』掲載)、二葉亭四迷「余が言文一致の由来」(1906年『文章世界』掲載)、中島敦「山月記」(1942年『文學界』掲載)の5作が選ばれた(1997)。
同年、CD-ROM製品内で取り上げられた青空文庫の紹介ファイルには、富田の「短く語る「本の未来」」(1997/『読売新聞」掲載)と津野海太郎『本はどのように消えてゆくのか』(1996/晶文社)の存命中の2人の作品に加えて(*富田は2013年逝去)、芥川龍之介「羅生門」(1915年『帝国文学』掲載)、北原白秋訳「マザーグース」(1920年『赤い鳥』掲載)、宮沢賢治「銀河鉄道の夜」(1934年「宮沢賢治全集」)らを収めた。
以後、ボランティアスタッフの協力によって、青空文庫の点数は増えていき、菊池寛と太宰治が加わるなど(1999)、開館から3年後には1000点を超えた。
やがて、青空文庫は、ボランティアスタッフの特性も現れてくるようになる。
与謝野晶子訳の紫式部「源氏物語」、岡本綺堂「半七捕物帳」シリーズ、中里介山の大長編『大菩薩峠』、「宮本百合子全集」などが公開された。
*原典:
私家版『文芸メディア発展史~文芸家/写真家/編集者の追いかけっこ~』(2016年9月発行)
*主な参考資料:
野口英司編著『「インターネット図書館 青空文庫』(2005/はる書房)
筆者執筆参加。文芸家26名のポートレイトを収めた写真冊子『著者近影』(松蔭浩之撮影・デザイン/男木島図書館2016年4月発行)は、MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店(渋谷)、タコシェ(中野)、NADiff a/p/a/r/t(恵比寿)の店頭などにて、現在手にとって頂けます。
収録文芸家:
青山七恵/池井戸潤/池澤夏樹/冲方丁/大野更紗/金原ひとみ/京極夏彦/窪美澄/沢木耕太郎/篠田節子/高橋源一郎/滝口悠生/谷川俊太郎/俵万智/辻村深月/堂場瞬一/早見和真/平野啓一郎/穂村弘/三浦しをん/道尾秀介/本谷有希子/森村誠一/山田詠美/吉田修一/吉本ばなな