戦前と戦後で変わる菊地寛賞

<第1章 文芸家ポートレイト/文学賞事始>

 --3 人名を冠した文学賞創設―――直木三十五賞芥川龍之介賞

⑥―――日本文学振興会設立  菊池寛賞もあいまいだった

 

直木三十五賞芥川龍之介賞を創設した5年後、菊池寛40才のとき、自身の名前を冠した菊地寛賞を制定する(1938)。

先輩文芸家の業績に敬意を表することが目的だった。

このとき、菊池は、財団法人日本文学振興会を設立。

直木賞芥川賞ともに主催となっている。

 

創設の翌年発表された第1回は、徳田秋声尾崎紅葉門下)。

第2回は、里見弴(白樺派)・宇野浩二(嘉村磯多・牧野信一ら夭逝者の全集編集に尽力)・武者小路実篤白樺派)。

菊池より年上か同い年のメンバーだった。

ここにも菊池の文芸家への思いやりが伺えるだろう。

 

しかし、その後は、室生犀星と故・田中貢太郎(情話、怪談もの多数発表)。

久保田万太郎文学座創設メンバー)と故・長谷川時雨(『女人芸術』創刊)と故・中村吉蔵(芸術座結成メンバー)。

佐藤春夫上司小剣(『読売新聞』編集局長および文芸部長から文芸家へ)。

川端康成となる。

室生、佐藤、川端の、菊池より年下のメンバーも受賞していく。

また、室生、佐藤、川端は、芥川賞の選考委員でもあった。

 

菊池寛賞は、戦時中、一時途絶えたあと、菊池が没した4年後に復活する(1952)。

翌年、戦後第1回として、「吉川英治水木洋子(脚本家)・俳優座演劇部研究所・読売新聞社会部・扇谷正造(『週刊朝日』編集長)・岩波写真文庫」に贈られた。

 

菊池が生前に特に関わりの深かった部門として、文学、演劇、新聞、放送、雑誌・出版の世界が対象となった。

戦後復興期のこの頃、雑誌の復刊、文庫や全集ブーム、ラジオやテレビ局の開局が進んだ時期にあたり、ニューメディアの登場によって、菊池像が見直され、菊池寛賞は生まれ変わった。

 

 

*原典:

私家版『文芸メディア発展史~文芸家/写真家/編集者の追いかけっこ~』(2016年9月発行)

*主な参考資料:

『芥川賞・直木賞150回全記録』(2014/文藝春秋) 

菊池寛『菊池寛 話の屑籠と半自叙伝』(1988/文藝春秋

 

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筆者執筆参加。文芸家26名のポートレイトを収めた写真冊子『著者近影』(松蔭浩之撮影・デザイン/男木島図書館2016年4月発行)は、MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店(渋谷)、タコシェ(中野)、NADiff a/p/a/r/t(恵比寿)の店頭などにて、現在手にとって頂けます。

収録文芸家:
青山七恵/池井戸潤/池澤夏樹/冲方丁/大野更紗/金原ひとみ/京極夏彦/窪美澄/沢木耕太郎/篠田節子/高橋源一郎/滝口悠生/谷川俊太郎/俵万智/辻村深月/堂場瞬一/早見和真/平野啓一郎/穂村弘/三浦しをん/道尾秀介/本谷有希子/森村誠一/山田詠美/吉田修一/吉本ばなな