広告写真家の時代がやってきた

<第2章 顔をさらすから身をさらすへ>

---4 ポートレイトは、広告写真か? 芸術写真か?

すでに出版社系の週刊誌創刊ブームについてふれたが、そのブームの直前、新聞社から1冊の写真雑誌が創刊されている。

この写真雑誌を拠点に、多くの新人写真家が活躍していく。

①―――後発『カメラ毎日』(1954年創刊)の編集者・山岸章二の戦略

 

写真月刊誌『カメラ毎日』は、毎日新聞社が創刊した(1954-85)。

ライバル紙・朝日新聞社が発行する『アサヒカメラ』(1926年創刊)から後れること30年近くになる。

 

『カメラ毎日』は、山岸章二が編集部員、編集長を務めた60年代初頭から70年代初頭に大きく発展した。

山岸は、元々カメラマンとして毎日新聞社に入社したが、その後、編集者へ転じた。

 

写真雑誌として後発の『カメラ毎日』が発展していく背景には、山岸が広告写真家を徹底的に起用していったことがある。

 

日本デザインセンターに所属していた高梨豊、第一宣伝社~日本デザインセンターに所属していた深瀬昌久資生堂のポスターを手がけていた横須賀功光、アド・センター所属だった立木義浩、ライトパブリィティ所属だった篠山紀信らが誌面を飾った。

みな、有名になっていく前のことだった。

 

山岸の部下で、のちに『カメラ毎日』の編集長を務める西井一夫は、当時をこう語る。

 

これまでの写真の世界というか……文壇の代わりに昔の言葉で言うと写壇とか言ってたんですけど(笑)……そういう構造というのをとにかく壊してしまおうという意識ははっきりと持っていた人のようですね。

だから、土門拳が提唱したリアリズム写真という一つの集団的ヒエラルキーがあった。

もう一個は後に二科の写真運動になっていくもの。

秋山庄太郎とか林忠彦を筆頭にする、いわゆるキレイ写真ですね。

そういう大きく二つの流派みたいのがあったんです。

『カメラ毎日』自体にもこういう二つがコンテスト制度というものを通して共存していたんだけど、どっちも壊しちゃおうというのが山岸さんの思っていたことみたいですね。

「良い写真」なんていうものはないんだ、とよく言っていました。

そこでどっちでもなくて当時非常に力を感じさせたものがコマーシャルの分野だったんじゃないですか。

で、とりあえずそこからはじめるということで、六〇年代の初めというのはまず若いコマーシャル写真家を多用して、彼らの撮った写真を見せるということでやっていったんだろう、と思うんです。

 

 

*原典:

私家版『文芸メディア発展史~文芸家/写真家/編集者の追いかけっこ~』(2016年9月発行)

*主な参考資料:

西井一夫『写真編集者 山岸章二へのオマージュ』(2002/窓社)

 

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筆者執筆参加。文芸家26名のポートレイトを収めた写真冊子『著者近影』(松蔭浩之撮影・デザイン/男木島図書館2016年4月発行)は、MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店(渋谷)、タコシェ(中野)、NADiff a/p/a/r/t(恵比寿)の店頭などにて、現在手にとって頂けます。

収録文芸家:
青山七恵/池井戸潤/池澤夏樹/冲方丁/大野更紗/金原ひとみ/京極夏彦/窪美澄/沢木耕太郎/篠田節子/高橋源一郎/滝口悠生/谷川俊太郎/俵万智/辻村深月/堂場瞬一/早見和真/平野啓一郎/穂村弘/三浦しをん/道尾秀介/本谷有希子/森村誠一/山田詠美/吉田修一/吉本ばなな